1947年、ノルウェー人学者のトール・ヘイエルダールは、自作のイカダ「コン・ティキ号」で当時未解明だったポリネシア人のルーツをたどる旅に出た。漂流中はトビウオやカツオなどの魚に恵まれた一方、「エビと消しゴムを混ぜた味」と船員を悩ませた海洋生物がいた。作家の椎名誠さんが解説する――。

※本稿は、椎名誠『漂流者は何を食べていたか』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

無人島から生還できるのは極めて稀

漂流記には大きくわけて2つのジャンルがある。もっとも多いのは航海中に猛烈な嵐に遭遇し、船が壊滅的に破損してしまうケース。嵐の場合はある程度の予測はできるからそれに備えて防備をほどこせるが、どうしようもないのがクジラやシャチなど思いがけない海の巨大生物といきなり衝突し、船が破損してしまうアクシデントだ。夜中にそんなことがおきるのは想像するだけで恐ろしい。

どちらもライフラフトなどの救命ボートに逃れられればとりあえず運がいいが、そうであっても一瞬のうちに無残な漂流者になってしまう。

今「とりあえず運がいい」と書き添えたうちで本当に運がいいのは嵐の海や思いがけないアクシデントに遭遇し、漂流という最悪の事態に追い込まれたとき、救命ボートに乗れて、とおりかかった他の船などに助けられる、あるいは有人島に漂着する、という展開だ。

遭難、漂流というとわたしたちは無人島に漂着、というお気楽な“夢”をとかく抱きはじめる。実際そういうありがたい幸運に恵まれるケースもあるようだが、たどりついたところがヒトのいない島ではまた新たな別の遭難となり、生還するのは極めて稀なケースである、と考えたほうがいいようだ。

浅いターコイズブルーの海の中にヤシの木が生えた無人島
写真=iStock.com/AlessandroPhoto
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南半球の多くの孤島は島のまわりを防御するように珊瑚礁がとりまいていて、それらは島を外敵から守るような無情な防御帯になっている。せっかく近くまでたどりついたのに最後のアプローチでボートもヒトも全部粉々にされる、という残酷な結末になるケースも多いようだ。

救命ボートなどにひとまず逃れられたとしてもそのあとの展開が不幸な場合、わたしたちはその遭難そのものをまったく知らないし、漂流がうまくいったとしても発見されなかった場合はその漂流体験がどんな状態だったか他人にはまるで分からない。わたしたちが知っている遭難、漂流は、この地球でおきた沢山のそうした出来事のほんのちょっとだけの事例でしかなく、海での運命ほどきまぐれではかないものはない、ということがよくわかってくる。

八丈島よりはるか南にある無人島「鳥島」は、江戸時代に日本の船がたびたび漂着している「漂流の島」だ。外海に出ていく船、外洋まで行って流されてくる難破船などがいずれも大きく年をあけて漂着するので、記録を読んでいると実にむなしい。それぞれ単独の漂着記録を見ると、この島に沢山いるアホウドリを捕まえてそれを食べて生きつなぎ、孤独に果てているようだ。

一度だけ数年間おいてだが、2つの漂流船の人々が漂着したことがあった。双方の喜びようはいかなるものだったろう。しばらく共同生活をするが、やがて島からの脱出を考える。漂着時の破損のましなほうの船を沢山流れ着いている流木で修理して島から脱出し、まずは人のすんでいる八丈島に漂着。やがて郷里に生還したという感動的な結末をつかみとっている。でもこういう例は珍しいようだ。