「痛いのは嫌」”だけ”では決めてほしくない

【編集部】希望される妊婦さんは、どのようにして無痛分娩の存在を知るのでしょう?

【宋】今の日本では、妊娠したら麻酔分娩について耳にする機会は多くあります。お友達が麻酔を用いて出産して、よかったから自分も、と希望される方もいますね。

日本には「痛みに耐えないとお母さんになれない」という風潮もありますが、私のクリニックにくる方には、そういった風潮への問題意識はあまり感じません。痛いのは嫌だ、痛いのは怖い、との理由が大半です。

私は、麻酔分娩を希望する人がそれを選べるようになってほしいと願っています。同時に、「痛いのは嫌だ、無痛しかない」との思いだけでは決めてほしくない、とも考えています。妊婦さんには、麻酔分娩に伴うリスクをよく知ってから選んでもらいたいのです。

たとえばエビデンス上は、自然分娩でも麻酔分娩でも、帝王切開率は変わらないと言われています。ですが、産科麻酔(※)はとても奥の深いもの。担当する医師や施設の体制によって麻酔管理のクオリティは異なり、「この妊婦さんは麻酔をしなかったら、帝王切開にはならなかったのではないか」と考えられる例は、実際にあります。
帝王切開は母子の命を救う、大切な医療行為です。が、人生全体で他の手術を受ける可能性を考慮すると、お産はなるべくであれば、経膣でできた方が望ましい面があります。それは開腹手術の既往は少ない方が、リスクを低くできるからです。

※産科麻酔については、無痛分娩や帝王切開分娩など、お産に関わる麻酔の研究と母子の健康保持・向上を目指す医療者の団体「日本産科麻酔科学会」の公式サイトに詳しい。現在は麻酔科医である照井克生理事長(埼玉医科大学総合医療センター)の元、産科医・麻酔科医・助産師の952人の会員がいる。公式サイトでは無痛分娩と帝王切開の麻酔のそれぞれに、専門家の見地からQ&Aコーナーを設けている。

妊娠出産はリスクがあって当たり前

【宋】また麻酔分娩で多く用いられる、硬膜外麻酔による分娩では、鉗子分娩・吸引分娩が増える傾向があります。現在、麻酔分娩で有名な病院でも、麻酔をかけたお産の3~4割ほどは鉗子分娩・吸引分娩になっています。一説によると、痛みを感じないようにすると、妊婦さんがうまくいきめなくなることがあり、赤ちゃんを産み出すのに鉗子・吸引の使用が必要になるためです。そうすると骨盤底筋が傷むリスクが上がり、なかには産後、便漏れになる経産婦さんもいます。

妊婦さんの人生全体を考えると、帝王切開も分娩時の鉗子・吸引の使用も、避けられるなら避けた方がいい。それらのリスクをなくし痛みだけ取り除くことは、今の日本の産科医療体制ではできません。それだけのクオリティの高い麻酔をかけられる麻酔科医が、産科の現場に、十分な人数でいないのです。

【髙崎】日本で無痛分娩が普及していないことを問題視する議論では、先生が今話されたようなリスクについては、あまり多く語られていないように感じます。

【宋】麻酔分娩に限らず、お産そのもののリスクが忘れられていっているのではと、危機感と感じる面もあります。

私がブログやSNSで情報発信を始めたのは、2004年の大野病院事件が発生した頃です。当時は「妊娠出産は安全」という風潮があり、「何かあったら医者のミス」とメディアで取り上げられていました。ですが、妊娠出産にはそもそもリスクがある。それを啓発したかったのです。

鈴ノ木ユウ『コウノドリ』(講談社)
鈴ノ木ユウ『コウノドリ』(講談社)

その後漫画『コウノドリ』の効果などもあり、妊娠出産はリスクがあって当たり前ということ、そのリスクに対して医師たちが過酷な状況で働いていることが、常識的に知られるようになってきました。

ですが最近また、特に麻酔分娩に関しては、「痛いのは嫌だ」という点が前面に出て、リスクがあまり語られないようになっています。「痛いのは嫌だ」との意見自体は、私も賛同するのですが……。

よく麻酔科の先生方が「麻酔は魔法ではない」と言いますが、麻酔分娩も、リスクなく痛みだけを取り除く方法ではありません。メディアが麻酔分娩に関する発信をする際も、メリットとデメリット、リスクを同時に取り上げてほしいです。