コロナ禍の最中に日本ではオリンピックが開催されようとしている。なぜそうなってしまうのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(前編/全2回)

経済の目的を「成長」から「幸せ」へ

古川元久氏
古川元久氏(撮影=朝日新聞社)

【古川元久(以下、古川)】斎藤さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)を拝読し、こういう形でマルクスを理解するアプローチがあることを学ばせてもらいました。斎藤さんはこの本で、「資本主義では現代の諸課題は解決できない」ことを語り、「脱成長」を理念とする新しいコミュニズムの必要性を説いておられます。

私も、経済成長が自己目的化した現在の資本主義は、さまざまな弊害やひずみを生み出していると思っています。本来、経済成長の目的は成長そのものではなく、成長の先に目指している幸せのほうです。

だとすれば、資本主義やコミュニズムという社会システムの仕組みも大事だとは思いますが、その前提として、私たちが求める幸せとは何なのかということを、あらためて考えなければいけないように感じています。

【斎藤幸平(以下、斎藤)】私も、幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません。たとえば、ステーキを食べるときにはフォークとナイフを使いますが、納豆を食べるのにフォークやナイフを使ったらうまく食べられませんよね。それと同じように、経済の目的を「成長」から「幸福」に変えるならば、多少改良したところで既存のシステムを手段としてもうまくいきません。つまり、資本主義という社会システムの中に私たちがいる限り、幸せという目的は絶えず遠ざかっていくのではないでしょうか。

資本主義というシステムを維持するのは不合理

斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)
斎藤幸平氏(撮影=五十嵐和博)

【斎藤】というのも、資本主義の本質が、際限のない利潤追求だからです。

マルクスが『資本論』で書いているように、資本の目的は「蓄積せよ、蓄積せよ」、つまり「世界中の富をひたすら蒐集せよ」ということです。先進国の生活だけを見れば、資本主義は私たちを豊かにしたかもしれません。しかし、植民地で奴隷のような過酷な環境で人々を働かせて搾取した歴史もあれば、現代でも社会に過剰な負荷をかけてグローバル経済はまわっている。日本でも、コロナの感染拡大がわかっているのに、資本主義のために、五輪をやめることさえできずにいます。

そしてもうひとつは環境の問題です。現代は人類の経済活動が地球を破壊しつくす「人新世」の時代に突入しています。環境危機を引き起こした犯人は資本主義です。もはや、経済成長を目的とした資本主義というシステムを維持していくことは、まったくもって不合理です。

古川さんと水野さんは『正義の政治経済学』(朝日新書)という共著において、「定常型の経済に移行していくしか道はない」という話をされています。資本の利潤追求にストップをかけ、経済をスローダウンさせるには、市民が、もっと積極的に公共財・共有財(=「コモン」)を管理する「コモン」型社会に移行していくべきです。これは国家が計画・管理をするソ連型の共産主義とは違う、下からのコミュニズムです。