何も生み出さない、「生産」をしない中間管理職

こうした中間管理職は、仕事をしているというけれども、その内実は、なにも生み出していない。言ってしまえば、なにも生産していないことになるのです。

佐々木常夫『9割の中間管理職はもういらない』(宝島社新書)
佐々木常夫『9割の中間管理職はもういらない』(宝島社新書)

新型コロナウイルスの流行によって、リモートワークや在宅勤務が当たり前になりつつある昨今ですが、これはコロナ以前から進められてきたITの導入やデジタル化の波によって着々と準備されてきたことです。

トップの意思を部下に伝え、現場で起こったことをトップに伝えるというのは、旧来の中間管理職の役目のようですが、これはデジタル化によってほとんど不要になったとも言えるのです。

以前は、会議があるとその結果を出席した上司たちが、部下に伝えて回るのが普通でした。たとえば部長が重役会議に出て聞いたことを課長に説明し、課長は部下を集めて説明するといったふうにです。

しかし、今やそんな「ホウレンソウ」は必要なくなりました。それはデジタル化によって、一斉にメールを送ったりすれば事足りるものになってしまったからです。こうして中間管理職は、グレーバーが言うような「ブルシット・ジョブ」になってきてしまっているというわけです。

中間管理職の自己顕示欲

ほとんどその存在に意味のないような中間管理職のなかには、しばしばプレイング・マネジャー的に振る舞う人たちも多いと思います。

たとえば、課長職にある人物が「この案件は俺がやった」というような顔をしている。現場の部下たちが丁寧に進めてきたものを、わざわざ横槍を入れてきて、自分があたかもプロジェクト・リーダーで、現場の仕事もやりながら管理したというふうに見せたがるような、そんな中間管理職です。

部下に任せず、自分でなんでもかんでもやってしまうのは、中間管理職としては、一見、忙しそうで、仕事をしているように見えるかもしれません。しかし私は、それは必要な中間管理職のあるべき姿ではないと思います。むしろ、こういうプレイング・マネジャー的な中間管理職こそ、いらない9割の中間管理職なのです。

そういう中間管理職は往々にして、自己顕示欲が強いだけです。部下に任せず、なんでも「自分が、自分が」というタイプで、なんでも自分の直接の業績にしたい。

しかし、後で述べますが、中間管理職がなぜ存在するのかを考えてみると、プレイング・マネジャーになるためにあるわけではありません。それは、部下にもできる仕事です。中間管理職は中間管理職にしかできない仕事をしなくてはいけない。私は、この場合、部下に任せて、部下の業績にしたほうが中間管理職にとってもよいのだと考えています。

そこで部下を褒め、育てることができれば、組織の力が増大することになる。それは組織を管理する中間管理職にとって、「俺がやった」なんて自己顕示欲を満たすことよりも、もっとずっと、大きなプラスになるのです。