ベッドに横たわった老婆は、ごろんごろんと体を左右に揺らした

だんだん床が見えてきて、“ゴミ捨て場”のようだった室内が部屋っぽい雰囲気になっていった。

やがて、天井近くまであったベッドの上のものを全てどかすことにも成功。9時半から作業を始めて、時計を見ると16時になっていた。最後は食べ物のカスやホコリだらけのベッドに丁寧に掃除機をかけ、作業終了。

「よかったねぇ、今日からベッドで眠れるね」

作業の終了間際にやってきたケアマネージャーがそう話しかけると、老婆が初めて笑顔を見せた。皆にうながされて、ゆっくりとベッドに横たわる。老婆はベッドが物でいっぱいになってからは部屋の床で、そこも物で埋まってからは台所のわずかなスペースで体を折って眠っていたという。ごろんごろんと体を左右に揺らしながら、老婆はとてもうれしそうな様子だった。今もこの原稿を書きながら、あの時の光景が私の目にはっきり浮かぶ。

大切な物、思い入れのある品に囲まれていたら、本人はゴミ部屋に住んでいても幸せなのか? と考え続けてきたが、人として当たり前である「排泄・睡眠の場」はなくてはならないと思った瞬間だった。

数カ月後に同じような状況に戻っていることもある

帰り際、Fさんが両手で老婆の手を包みこむように握手をし、彼女の目を見つめてこう言った。

「もう私と会うことがないように生活してくださいね。私たちは整理・掃除屋ですから」

数カ月後、数年後に再び同様の依頼が入り、全く同じような状況を目にすることが少なくないという。そのような時、作業員としてつらい気持ちになる、とFさんは帰り道で私に言った。

ゴミ屋敷に住む人は社会から孤立している場合がほとんどだ。心の隙間を埋めるようにゴミを集め、「ゴミを捨てることは体の一部をとられるようだ」と、捨てられることを全力で拒む。大切なゴミの代わりになるものはなんだろう。