【藤原】澤選手は監督が就任されるまでは攻撃の司令塔としてトップ下(フォワードの後ろでラストパスを供給したり、自らシュートを打つ攻撃的な役割)で大いに活躍していた。それをボランチ(トップ下よりも少し後方に位置するポジション。後方にいるぶん、守備的な動きも求められる)に移しました。

【佐々木】澤は、それまで攻撃で注目されていた選手でした。ただ私は、それ以上に、彼女のボールを奪う嗅覚にずばぬけたものを感じていました。ですからボールを奪うための要のポジションに移ってもらったんです。それから、実は澤にはウイークポイントがあった。相手を背にしてボールを受けてターンする技術が、さほどうまくなかったんです。

【藤原】澤さんは万能選手というイメージですが得意でないプレーもあるんですね。

【佐々木】身のこなし、という点では、そこまで優れた特性はないかもしれません。踊ったりすると意外とぎこちなかったりする(笑)。だから澤には少し後ろのポジションで、前を向きながらプレーしてもらいたかった。チーム全体にとって、ボランチで役割を果たしてもらうことが非常に重要だったんです。

澤がボランチになるに当たって、澤の隣でコンビを組む選手も選びました。それが阪口(夢穂、ミッドフィルダー)です。技術とパワー、センスも抜群。この2人に中盤の役割を務めてもらったことが、私が監督になってからの大きな変化の一つです。実際、澤のボール奪取能力は凄まじかった。阪口は性格的に照れてしまって激しく敵に迫れないところがあったのですが、澤の激しいプレーにつられて意識が変わってきました。そうするとチーム全体のボールを奪う、という意識も強くなり、大きな変化が表れました。

【藤原】監督の重要な手法である「適材適所で人の強みを活かす」の好例ですね。

【佐々木】今回、澤はMVPを取りました。澤自身が高い能力を持っているのは間違いない。ただ、ボール奪取から攻撃を始める戦略を忠実に実行した、なでしこジャパンだから澤がMVPを取れた、というのも事実。澤の能力あってのなでしこジャパンですし、その逆もしかりです。

※すべて雑誌掲載当時

【佐々木則夫●サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)監督
1958年生まれ。帝京高校で日本高校選抜主将。明治大学卒業後、NTT関東サッカー部(現・大宮アルディージャ)でプレー。同チーム監督などを経て、2008年、なでしこジャパン監督に就任。10年アジア大会優勝、11年女子W杯ドイツ大会優勝。

【藤原和博●大阪府知事特別顧問
1955年生まれ。78年、東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。東京営業統括部長などを経て、同社フェロー。2003年、東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校校長に就任。08年退職後、現職。東京学芸大学客員教授なども務める。

(田原英明(プレジデント誌編集部)=構成 上飯坂真=撮影)