50年前に行っていた「漢字廃止宣言」の弊害

こうした国民感情優先、事実関係は二の次という歴史観は、たとえば自国の言葉、ハングルと漢字の扱いにそれが如実に表れている。

日本や韓国のような同質性の高い国家・民族の場合、言葉はその固有の文化・アイデンティティとほぼ同一視される。ハングルを「世界一」と自賛する韓国人のように、自国の言葉にプライドを持つことじたいに何ら問題はないが、ハングルにまつわる韓国人のそれは排他性が過ぎる感がある。実際、韓国語のボキャブラリーの6~7割を漢字語が占めているにも関わらず、1970年になんと「漢字廃止宣言」を行い、それは50年経った今も基本的に続いているのだ。

ハングルは正確には文字・言語というより言語体系の呼び名だが、一般にはもっぱら「朝鮮語を表記するための表音文字」とされ、10の母音と14の子音の組み合わせで表記する。その起源は、李氏朝鮮時代の1440年代に登場した「訓民正音」。4代王の世宗が自らの民族の言葉である朝鮮語に固有の文字を創るべく推し進めたもので、「民を教える(訓える)正しい音」という意味だ。もっぱら漢字を使う支配層・知識層に対し、民間で広まったという。

「これからは漢字を覚えなくてよろしい」

1876年の李朝開国以降、いわゆる「開化期」にハングルの使用が拡大。1948年8月15日の建国直後の10月9日、韓国はハングル専用法を制定し、公文書はハングルで記すことを正式に決めた。1970年には、前述の通り朴正煕政権が漢字廃止宣言を行っている。

その主たる動機は、中国や漢字そのものへのアレルギーではなく、1910年から第2次大戦終了に至るまでの日本の統治時代を思い出す痕跡を消したいという気持ちである。今年、ソウル市内で日本や日本企業所有の当時の土地・建物を次々と整理しているが、その心持ちと同じであろう。

「漢字廃止」で何が起こったか』(2008年刊、その後加筆)著者の呉善花氏は、同書の中で「(小学)六年生になると、教師から『これからは漢字を勉強しなくてもよろしい』と言い渡され、教室中が私たち生徒の歓声でどよめいたのをよく覚えている」「そして中学に入り、1970年の春からはすべての教科書から漢字が消えていった」と振り返っている。

その後も漢字必要論を唱える勢力とせめぎ合いつつ、鉄道用語のハングル化や、法律用語の漢字表記廃止といった施策が続き、一部の新聞を除いた公の場から漢字がほぼ姿を消していった。