上を見て背伸びをすればキリがなく、横を見て肩を並べようとすれば、見栄を張りたくなるのが人間。しかし、そんな感覚でいると、たちまち生活は破綻してしまいますよ。

有名料理店で食事をするとか、お酒なんかも「17年ものだぞ」と言われると、つい味わいたくなって飲んじゃう。世間が「これがいいんだ」というものごとを鵜呑みにして、それをするのが人並みだと思い込んでいるから、ついつい浪費してしまう。そういう人が、案外と多いように思いますね。

年収300万円というと、手取りが240万円として月20万円。家賃が月5万円のワンルームに住んだとして、残るのは15万円。贅沢はできません。若い男性でも、それではお嫁さんも来てくれないでしょう。女性は勘定高いですから。

しかし、それでただ仕事に追われてあくせくしていたら、自分は何のために生きているのかと考えてしまう。つらくなります。やはり、お金がなければないなりに、日々の楽しみをどう見出すかが大事です。

楽しいこと、夢中になれることがあって、毎日ご飯が食べられて、晩酌にビールの一杯も飲めれば、それはそれで幸せなこと。お金なんかなくてもかまわないと僕は思いますよ。

一番の楽しみは、布団の上に仰向けに寝転んで本を読むこと
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満州から内地に戻る途中、多くの死人が

自分が楽しいと思うこと、好きだと思えるものは何か、何かおもしろいことが身の回りにないかと探るのは、とても大事だと思います。特に、今の自分が不遇だと思えるときこそ、気の持ちようが大切です。

僕は小学4年のとき、満州で終戦を迎えました。子ども心に、3日もあれば内地に戻れると思っていたのですが、結局2カ月もかかりました。その間、どれほど死人を見たことか。着のみ着のままで帰ってきて、そのどん底が出発点でしたから「もうこれ以上、悪くなることはない。これからはよくなるばかりだ」と思っていました。

先輩作家の五木寛之さんもそう。彼も引揚げ者で、福岡から上京して早稲田大学へ進みました。貧乏で、大学時代にお寺の軒下で寝起きしていたことがあると言っていました。そんな彼が、あれほどの大作家になれたのは、自分の好きなこと、おもしろがれることを、どこまでも追い求めたからでしょう。

僕もロシア文学を専攻していましたが、同級生の中には妙なバイトをしている奴らがけっこういました。学業のほうはだめでしたが、そういう学業以外のところから、生きる道を見出した人も、何人もいたと思います。

思い通りにならないからと苛立っても、自分を貶めても、そこからは何も生まれてこないのです。