日総工産は製造業の工場内で業務を請け負う「製造請負」の大手企業だ。2008年のリーマンショックでは、壊滅的なダメージを受けた。だが、その後の人手不足を味方につけて、2018年には上場を果たした。なぜピンチをチャンスに変えられたのか。創業者の清水唯雄が振り返る――。

※本稿は、清水 唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

危機管理、チームワークコンセプト
写真=iStock.com/marrio31
※写真はイメージです

「ビールも焼酎も味が同じ」ストレスで味覚障害に

日総工産の設立後は、自動車や電気・電子、半導体などの各産業の隆盛とともに、製造業の“合理化”で生じた新しいニーズを受け止める形で成長軌道を進んでいくことができました。90年代初頭のバブル崩壊も請負業界にはさほど深刻な影響を及ぼさず、2000年代に入ると約2万5000人の従業員を雇用するまでに成長を遂げていきました。

しかし、2008(平成20)年のリーマンショックは、今までの経済危機とはまったく次元の異なるダメージをもたらしました。需要の急落で各メーカーとも減産体制をとるようになり、この年の終わりには作業所に配置した人員は8000人にまで減少してしまいました。

結果としてそれまではほぼ無借金だったのが、多額の借金を抱えることとなりました。その後も売上は減少し、返済の原資もどんどん減っていき、ついに銀行の管理下に置かれることとなったのです。

何とかしなければ、と思いながらもいい手立てが思い浮かばず、夜は2~3時間しか眠れません。こんな状況が1年ほど続き、過度のストレスから味覚障害になってしまいました。

味覚障害になると文字どおり何を食べても飲んでも味がわからなくなります。すべてを忘れたく悪い酒の飲み方もしてみたのですが、ビールを飲んでも、日本酒を飲んでも、焼酎を飲んでも区別がつかないのです。こんな症状に見舞われるとは思ってもいませんでした。幸いお茶の水にある専門病院に通いはじめると、半年ほどで症状は消えていきました。