森永製菓の創業者のひ孫として生まれ、聖心女子大学付属からところてん式に持ち上がり、自身でも語っている通り、学生時代は遊んでいて、勉強などしなかった。

おそらくコネ入社で電通に入り、見合いのような形で当時神戸製鋼に勤めていた安倍晋三と知り合い、彼に乞われて結婚した。

世間も苦労も知らずに生きてきたお嬢ちゃんである。これまでの唯一の挫折は、夫・安倍の首相辞任だったのであろう。憲政史上最長といわれる長期政権をいちばん謳歌していたのは昭恵である。

だがいくら能天気な女性でも、考え込まざるを得ない事態に直面する。そのきっかけは、森友学園の籠池泰典理事長(当時)と出会ったことである。

その幼稚園で行われている戦後回帰教育に感銘を受け、新たに開校される日本初の神道系小学校の名誉校長に就任することも承諾する。夫にも籠池を引き合わせ、「いいね」といわせる。ここから、近畿財務局の“忖度そんたく”による森友学園への国有地激安払い下げ事件へとつながっていくのである。

総理発言の後、森友学園の痕跡を消す作業が始まった

昭恵の、この事件への関与は疑いようがない。籠池は『国策不捜査』(文藝春秋)でこのように書いている。

2014年12月6日、衆院選の最中に昭恵が、塚本幼稚園の保護者に向けて「ファーストレディとして思うこと」という講演をしているのである。その中で、

「(公示になってしまったのですべてのスケジュールをキャンセルした=筆者注)唯一ひとつだけ、ここだけは、主人に、『申し訳ないけど前からお約束をしていたので、行かせていただきたい』と、『ちょっとだけ選挙区を抜けさせてください』と、お願いをして、恩を売っているわけではなくてですね、本当にみなさんにお目に掛かりたいと思って今日は来させていただきました」

と話しているのである。

この払い下げ問題が国会で追及されると、安倍首相は苦し紛れに、「もし自分や妻が関わっているとしたら総理大臣も国会議員も辞める」といってしまう。

これは妻のことを庇ったのではない。妻のしでかした不始末で、首相の座を追われることなど、安倍には耐えられない。自分の保身のために口から出まかせをいっただけのことであった。

後は、官邸の人間たちが何とかしてくれる。そう計算し、事実、この発言の直後から、森友学園事件から昭恵の痕跡を消す作業が始まったのである。

昭恵のような女性でも、夫は私を庇っているのではない、自己保身からだという意図ぐらいは分かる。そこから、幽閉のような生活が始まる。外遊に連れて行くのは、妻と話し合うためではない。昭恵が語っているように、外遊中は忙しくて、一日が終われば疲れ果てて眠るだけである。