そんなトライ・アンド・エラーを何度も繰り返しながら、樋口さんは茶碗を手で包むようにつかむコツを体得していく。その次は洗濯物を畳むことに挑戦した。いまではパソコンのキーボードを自在に叩くことだってできる。

97年1月、樋口さんは久しぶりにスーツに袖を通した。前なら最寄り駅まで歩いて10分ほどなのだが、足を引きずってだと倍以上かかる。しかし、職場で本部長はじめ仲間が待っていてくれることを思うと、足取りは軽かった。「玄関から見送ったとき、背筋がぴんとしているのがわかりましたね」と加代子さんは目を細めながら語る。

手術から5年後の01年9月、加代子さんに手伝ってもらいながら、自らの体験をベースにした創作落語「病院日記」をかける「いのちに感謝の独演会」を開いた。落研出身の樋口さんの話芸に、無料で招待されたがん患者とその家族500人の笑い声が絶えない。お互いつらかったこと、楽しかったことを共有できた。それから毎年1回ずつ続け、今年で9回目を数える。

一方、河村さんは02年に子宮頸がんなど女性に特有のがんの患者会「オレンジティ」を静岡でスタートさせた。

「子宮を摘出すると、女性ホルモンが少なくなって更年期障害のような症状を起こして、些細なことでもイライラし始めます。冷静さを取り戻すと、今度は自分を抑えられないことに嫌悪感を募らせてしまいます。一番の被害者は主人でしたが、いつも受け止めてくれました。しかし、後遺症のことを知らないまま、離婚してしまうケースが少なくありません。ワクチンで予防できることなどを含めて啓発したい」

自らハンドルを切りながら、懸命にがんと向き合い、乗り越えてきた人だからこそ語れる言葉がある。その内容や表現方法は一人ひとり違う。しかし、そこには共通した一つの思いが存在している。だから初めてがんと向き合った患者や、その家族の胸に響くのだ。

走れ、走れ、いのちのクルマ、どこまでも――。そんな思いが。

(南雲一男=撮影)