表向きは「対等合併」だったが…

合併の条件は複雑で、交渉はおよそ一年にわたり、ようやく合意にこぎつけそうだった。しかし、最後の顔合わせが残っていた。両社の経営陣が面と向かって、最終的な確認作業を行うことになった。この会談の前までは、両社ともに納得できる筋書きが表向きには保たれていた。

この案件は「対等合併のはずだった」とヴァレラスは言うが、アルカテルの方が圧倒的に規模が大きく「力が強い」ことは、誰の目にもあきらかだった。ヴァレラスによると、この会談の前までは、両社ともに対等なパートナーという体裁で交渉が進められてきた。

ようやく合意というとろこまでたどりつけたのも、対等合併の立場が尊重されていたからだ。しかし、この流れに水を差したのが、会場の選択だった。

もともとは、ニュージャージーの空港そばの目立たないホテルで最終の顔合わせを行う予定だった。この場所なら「会談が誰にも知られることはない」はずだった。メディアに詳細を嗅ぎつけられないことが何より優先された。

それは、案件が流れた場合にどちらかが恥をかかないためでもあり、また「情報が市場に漏れて、株価に悪影響が出ることを避ける」ためでもあった。それなのに、最後の最後で、アルカテルの経営陣の一人が病気になり、フランスで会談を行いたいと申し出があった。そこで、パリから西に車で一時間ほどのメニュル城に会場が変更になる。

メニュル城はアルカテルの子会社が所有していた。「アルカテルはこの城を研修や会合でよく使っていたし、社内の戦略会議や経営会議にはもってこいだった。でも、合併交渉となると話は別だ」とヴァレラスは言う。

3日間の交渉の末に相手は立ち去った

ルイ13世時代に建てられたこの城には55の部屋があり、ペルシャ絨毯じゅうたんが敷かれ、部屋は金で縁取られ、シャンデリアが下がり、有名なフランス人将校の肖像画が飾られていた。描かれた人物の一人は、思い上がったアングロサクソン人をわなにはめたフランス将校らしい。

経営陣、取締役、銀行家、会計士、弁護士など数十人が両社から参加して、一日18時間、3日続けてこの城で交渉し、最終合意を詰めた。そして、ウォール・ストリート・ジャーナルが買収価格も含めた合併のニュースを報道した後になって、最後の最後でルーセントの会長だったヘンリー・シャハトは合併を断り、交渉の場から立ち去った。

当時の報道によると、交渉中止は戦略上の理由からということになっている。取締役の割合で合意に至らなかったのが、理由とされていた。しかし、そこには感情的な要因もあった。

「アルカテルがルーセントの買収に失敗した本当の原因は、相手のプライドを傷つけたからだ」とニューヨーク・タイムズは報じた。「ルーセントの経営陣は怒鳴り声を上げていた」とBBCは報道している。「それは、アルカテルが自分たちを対等な合併相手として見ていないと感じたからだった」。