他人に「人の気持ちをわかるようになれ」とは言わない

この文章は、「人の気持ちがわからない人間」と言われて傷つき、悩む、あなたのためのものだ。もし、あなたがここまでのイントロを読んで、「人の気持ちがわからない奴の言う戯言など聞きたくない」と思ったなら、今すぐページをめくって次のエッセイへ進んでもらいたい。

「あんたは人の気持ちがわからない」と言われ、平気な顔をしていたけれども、内心ではムカついていた。自分を注意してくれる存在のありがたさに気付いたのは、ずいぶんとあとで、大人になって初めて、子供だった僕を心配していろいろと助言してくれた当時の大人たちの優しさや親切心がやっと理解できた。

こういうのを「人の気持ちがわかった」というのかもしれない。とすれば、いろいろと言ってくれた皆様のおかげである。鬼籍に入られた方も多いけれど、この場を借りて感謝しておこう。ありがとう。

大人になった僕は、仕事上の人間関係で大きな問題が起きそうなときを別にすれば、「人の気持ちをわかるようになれ」と誰かを注意することはない。人の気持ちはわからないと信じているからだ。

「人の気持ちをわかれ」と言う人ほどわかっていない

実生活で「人の気持ちがわからない人間だ」と言われることは、ほぼなくなっている。だが、そのぶんというわけではないが、ツイッターやSNSで、どこの馬の骨ともわからない御仁から、「人の気持ちがわからないお前みたいな奴は死ねよ」と言われるようになった。

発言主が、人の気持ちをわかっているように見えないのは、実に興味深い。面識のない人間から「死ね」「消えろ」「カス」と言われる、その恐怖。なんて冷酷で、世知辛い世の中だろう。アベノミクスのせいだろうか。令和という時代のせいだろうか。

この世界の片隅から……おそらく、北関東あたりの郊外にある、イオンかイトーヨーカドーの駐車場に停めた軽自動車(中古)の車中からだろう。そんな場末から面識のない中年男に「死ねよ」とつぶやく方々の鬱屈した気持ちと冴えない人生に、思いを馳せてしまう。

僕は、彼らみたいな人を照らす1本のロウソクでありたい。照らすだけではなく、いっそ、そのまま着火して燃やしてしまいたいくらいだ。

SNSで、知らない人から「人の気持ちがわからない奴は死ね! ボケ! カス!」と言われても、よほど暇でない限り反論はしないほうがいい。パソコンやスマートフォンの電源を切って、生ビールでも飲んで、ぜんぶ忘れてしまおう。彼らは明らかに間違っている。人の気持ちがわかる人などいない。つか、人の気持ちなどわからなくていい。

人の気持ちがわからなくても、リスペクトはできるからである。