遅刻するのがルーティーンなら、それもいい

なおみは、ウォームアップや練習の時間に遅れたことは一度もなかった。決められたスケジュールは必ず守る。

対照的に、セリーナはたいてい練習に遅刻した。

10分くらい遅刻するのは、ふつうだった。私自身、コートで40分も待たされたことがある。他の職場だったら、それはだらしない行為、傲慢な行為、だと見なされただろう。だが、私は、それはセリーナが実力で獲得した一種の特権だと思っていたから、特に問題視しなかった。セリーナにはセリーナなりの時間の使い方がある。大事な試合のある日は、セリーナも時間を正確に守った。闘うために決めたルーティーンの重要さは、ちゃんと心得ていたのである。

ゲンかつぎの効能はあなどれない

「ゲンをかつぐ」のは面白い。面白いだけでなく、役にも立つ。たとえば、大きなイベントで成功したいとき。14日間ぶっつづけで同じ朝食をとるとか。同じ順番で靴ひもをむすぶとか。勝った日にはいていたのと同じ靴下をはくとか。

ゲンをかつぐことの効用は、並々ならぬものがある。それは不安を薄め、ストレスを軽くしてくれるからだ。あんなの時間の無駄、馬鹿馬鹿しい、とゲンかつぎを軽視する人は多い。だが、以前うまくいったときのちょっとした癖をくり返すと、成功体験が甦ってくるし、エネルギーも湧いてくる。あのときと同じものを食べる、同じ靴下をはく――それだけで気分も軽くなるし、またうまくやれるぞ、という自信も湧いてくるものだ。

だから、なおみは全米オープンの14日間、毎日、同じ朝食――サーモンベーグル――をとっていたのだ。私もやはりゲンをかついで、同じ朝食――サーモン、エッグ、トースト――をとっていた。おいしいサーモンも14日間つづくとさすがに飽きてきたが、他の朝食に切り替えるつもりはなかった。別になおみから頼まれたわけではなく、自分もそういう主義だったからだ。もし、なおみから、「ゲンかつぎで、わたしと同じサーモンベーグルにして」と頼まれたら、喜んでそうしていただろう。

テニスプレイヤーはこの地球でもっともゲンをかつぐ人種だと思う。個人スポーツだから他のチームメイトを頼ることはできず、すべてが自分の双肩にかかってくる。

だから、ゲンかつぎはルーティーンの一部と言っていい。

サーモンベーグルを食べるときのなおみは、前のトーナメントで勝ったときの手ごたえを味わっているのだ。テニスプレイヤーにとって、ゲンかつぎはないがしろにできないルーティーンなのである。

サーシャ・バイン(Sascha Bajin)
テニスコーチ
1984年生まれ、ドイツ人。ヒッティングパートナー(練習相手)として、セリーナ・ウィリアムズ、ビクトリア・アザレンカ、スローン・スティーブンス、キャロライン・ウォズニアッキと仕事をする。2018年シーズン、当時世界ランキング68位だった大坂なおみのヘッドコーチに就任すると、日本人初の全米オープン優勝に導き、WTA年間最優秀コーチに輝く。2019年には、全豪オープンも制覇して四大大会連続優勝し、世界ランキング1位にまで大坂なおみを押し上げたところで、円満にコーチ契約を解消。
(写真=Robert Deutsch-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト)
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