トヨタ社長の真意は終身雇用の見直しではなかった

一方、リストラ企業が増えたといっても、終身雇用を堅持する大企業や中堅・中小企業が少なくないのも事実だ。

たとえばキヤノンのように欧米型の職務給に近い「役割給」の賃金制度を導入し、実力主義による昇給・昇進によって従業員の意欲を引き出す施策を展開しながら終身雇用の看板を捨てていない企業もある。欧米企業のように新卒・中途に限らず企業が求めるスキルと能力を持つ人を採用する「ジョブ型雇用」と終身雇用は必ずしも両立しないものではない。

そうした中で、終身雇用企業の代表格であるトヨタ自動車の豊田章男社長の終身雇用に関する発言が話題になっている。

5月13日の日本自動車工業会の会長である豊田社長が2019年度の定時総会後の記者会見で「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入っている」といった趣旨の発言をした。

一見、中西会長の終身雇用見直しと同じ趣旨の発言のように思えるが、当日の発言内容をよく読むとニュアンスはかなり異なる。実際には経団連の中西会長の終身雇用は難しいとの発言についてどう思うかと聞かれ、こう発言している。

「多様化してきている。会社を選ぶ側に幅が広がってきた。他国に比べると転職はまだまだ不利。日本はなぜ今まで終身雇用ができてきたのか。雇用を続ける、雇用を拡大している企業に対して、もう少しインセンティブをつけてもらわないと難しい局面にきている。すべての人にやりがいのある方向に向いているのではないか」(MAGX NEWS「豊田章男自工会会長、『自動車を戦略産業に!!』」2019年5月13日 より)

まず前提として日本自動車工業界の会長として発言していることに留意が必要だ。問題は「もう少しインセンティブをつけてもらわないと」と言っているインセンティブの意味だ。

実はその前段で豊田社長は「自動車産業は全体で15兆円の税収貢献している。これに対して1300億円減税された。(中略)国には納税産業ではなく、戦略産業としての視点を持ってもらいたい」と言っている。

ここから類推すると政府に対して何らかのインセンティブを求めていることがわかる。

つまり、豊田社長は「終身雇用によって日本の雇用を守っているのだから、それなりの優遇策を考えてほしい」と注文をつけているのであって、終身雇用の見直しを表明しているわけではない。

また「会社を選ぶ側に幅が広がっている」と、終身雇用志向の人だけではなく、転職によるキャリアアップ志向の人が増えていることを認めつつ、今の日本の現状では「転職はまだまだ不利」と指摘。そのうえで「なぜ日本で終身雇用が成立しているのか」と、むしろその重要性を評価しているようにも聞こえる。

トヨタの人事担当者に読み継がれている『人事は愛!』という本

そもそもトヨタの終身雇用は豊田社長の一存でひっくり返るような代物ではない。創業以来、会社を支え、受け継がれてきた理念である「人間性尊重」に根ざしているからだ。

トヨタの人事担当者に読み継がれている『人事は愛!』という本(非売品)がある。

著者は故・畑隆司元常務役員。トヨタのグローバル人事の礎を築いた人だ。畑氏はトヨタの人事管理の本質は「改善」と「人間性尊重」にあると言っている。

終身雇用を含めて従業員を幸せにするという哲学がトヨタの企業基盤を支えている(写真=時事通信フォト)

そして雇用を守るだけではなく、給与などの労働条件の維持・向上も「人間性尊重」に含まれていると言う。こうしたトヨタの哲学は、欧米流の株主利益重視や雇用規制の緩和など、グローバル化の流れで逆風にさらされてきた。だが、逆に畑氏はトヨタの考え方は一つのモデルになると言っている。

「成長の機会を提供する、あるいは家族まで含めて幸せにする、というようなことが必要ではないか。こういう考え方は、理論や経済学で説明することは無理かもしれないけれど、実際にトヨタはそういうことを70年間もやってきたのです。逆に言うと、我々はそういうふうに会社を捉えて、従業員と会社の関係を定義する以外に、経営の仕方を知りません。だから、今のグローバル化の流れに押されて、変なことをしてしまったら、我々の企業基盤そそのものを失ってしまうのではないか」

終身雇用を含めて従業員を幸せにするという哲学がトヨタの企業基盤を支え、今日の隆盛を築いたという自負が感じられる。畑氏だけではない。バブル崩壊後大量リストラに走る経営者が多い中、「雇用を守れない経営者は腹を切れ」と発言した奥田碩元社長にも受け継がれている。