ポンド暴落でも手を差し伸べなかったドイツ

ただタイミングが悪く、当時の英国は景気後退期にあり、本来なら金融緩和が必要な局面だった。にもかかわらず、固定相場制度を維持するために中央銀行のイングランド銀行は利下げを行わなかった。そのため経済の実勢に比べるとポンドは割高となり、その歪みを投資家が突いてポンドに売りを浴びせた。

当初イングランド銀行は為替介入で投機筋による攻撃に対抗したが、結局抗えずに変動相場制度に移行した。そのことでポンドは暴落し、通貨危機に陥った。その際、ECUを司る通貨の番人であったドイツは救いの手を何も差し伸べなかった。このことが英国の大陸に対する不信感を一段と強くしたのである。

そうして募っていったEUへの不信感が爆発したのが、16年6月のEU離脱の是非を問う国民投票だった。この国民投票は、メイ首相の前任であるキャメロン氏が15年の総選挙で掲げた公約に端を発する。当時キャメロン氏は保守党を率いていたが、総選挙でも過半数は獲得できずに国民投票は実施されないとタカをくくっていた

ところがキャメロン氏の読みは大いに外れ、15年の総選挙で保守党は過半数を獲得して大勝した。その結果、キャメロン氏は国民投票を実施せざるを得なくなり、ふたを開けると投票者の52%が離脱を支持するという番狂わせが起きてしまったのである。それだけ英国の人々の大陸への不信感は強かったわけだ。

国民投票の再実施は無責任

民意を問う上で、国民投票は確かに有効な手段だ。ただ人間が感情的な動物である以上、民意は必ずしも合理的とは限らない。そのため、プロフェッショナルである政治家が大局的な観点から議会で審議を行う。それが間接民主制のメリットであり、英国は長らくその伝統を育んできたはずだ。

国民投票を再実施すべきであるという声もあるが、各種世論調査を見ても、離脱派と残留派は引き続き拮抗しており、方向感がつかめない。そもそも高度な政治的判断を要する問題の決着をそのような形で国民に丸投げして良いのかという大きな問題も存在する。またその時に示される民意も合理的である保証はない。

離脱の期日の長期延期は、事実上、離脱の意思撤回と紐づきになるだろう。この選択なら、離脱の意思撤回は離脱派と残留派の双方に顔が立つ。離脱派に対しては離脱への道が残される一方で、残留派に対しては当面の間離脱の可能性が無くなるためだ。玉虫色だが、現実的な解決策になる。