品川のキャリアは順風満帆だった

一方の品川は、芸人としてのキャリアは順風満帆だった。よしもとのお笑い養成所「NSC東京」の1期生だった品川は、品川庄司というコンビで銀座7丁目劇場に出演していた。そこでネタを磨き、『爆笑オンエアバトル』(NHK)などでもネタが評価されて好成績を収めた。

ラリー遠田『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

負けん気が強くて口が達者だった品川は、バラエティ番組でも早くから目立っていた。2001年には冠番組『品庄内閣』(TBS系)が始まった。その後、品川はひな壇という居場所を見つけて、そこで自分の存在をアピールした。

そもそも、「ひな壇芸人」という言葉を世の中に広めたのも彼である。『アメトーーク!』の中で「ひな壇芸人」という企画を自らプレゼンして実現させた。この企画では、自分がひな壇に座っているときにどんなことを考えて、どういうテクニックを使って目立とうとしているのか、などということを赤裸々に語った。品川はひな壇という新時代の戦場で、自分の強さに揺るぎない自信を持っていた。

また、品川は文化人としても評価されつつあった。2006年に半自伝的小説『ドロップ』(リトルモア)を出版すると、これが30万部を超えるベストセラーになった。その後、ブログ本、料理本の出版、映画監督業を手がけるようになる。文化人としてのマルチな活動が始まろうとしていた。

有吉が「売れる音がした」おしゃクソ事変

そんな2人が運命的な瞬間を迎えた。お笑い好きならば誰もが知る「おしゃクソ事変」である。それが起こったのは2007年8月23日放送の『アメトーーク!』だった。

そこで有吉は、ひな壇に並ぶ共演者たちに「世間のイメージを一言で伝える」ということをやっていた。チュートリアルの徳井義実には「変態ニヤケ男」、福田充徳には「アブラムシ」などとあだ名を付けていた。

ここで出演者の1人である品川を指して「おしゃべりクソ野郎」と言ったところ、客席が揺れるほどの大爆笑が起こったのである。のちに品川もこう振り返っている。

地鳴りみたいな響きがあって、有吉さんが売れる音がしたんです。ああ、この人は売れていくんだなって直感的に思いました。
(『女性セブン』2014年1月9・16日号)

有吉自身にもそれは驚きの体験だった。これまで芸人として10年以上もキャリアを重ねてきた中で、ここまで爆発的にウケるのは初めてだったからだ。そのとき、「ああ、こういうのがお笑いなんだ」と気付いた。有吉が何かに目覚めた瞬間だった。