ただ、そんな晴れやかな言葉とは裏腹に、元上司の背中には寂寥感が漂っていました。このとき私の頭の中に流れていたのは、「お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう」という「お正月」の歌です。定年を新年になぞらえると、元上司は、リタイア後の生活で楽しむ凧やこまを持っていないように思えたのです。

その上司は健康そのもので、お金にも不自由しておられず、夫婦仲がよく、家族にも恵まれています。足りないのは、定年後の生き甲斐だけ。そう感じた私は「いまから自分の凧とこま作りの準備をしよう」と考えました。

しかし、定年後に何をするかはすぐに決めませんでした。それは、20年先のことを決めてしまうと、自分の人生の選択肢を狭めることになると考えたからです。まず勉強して人間性を向上させれば、いずれ可能性のほうから転がりこんでくる。そう信じて、自分を磨くことにしました。

最初に変えたのは読書習慣です。それまでは自分の仕事に役立つビジネス書ばかりでしたが、仕事に関係のないジャンルの本も意識的に手に取り始めました。

人脈づくりにも精力的に取り組みました。48歳で本社の自動車部の部長になって仕事は一段と忙しくなりましたが、勉強会やセミナーの時間は確保しました。プレジデント誌主催のセミナーに出たこともあります。参加していたのは一流企業の部長クラスで、いまでもみなさん各分野で活躍されています。

勉強は、いまも毎日4~5時間続けています。40代の勉強は、将来よりよい人生を送るための手段でした。しかし、続けるうちに楽しくなり、いつのまにか目的に。私は2019年で75歳ですが、世の中は知らないことばかりです。勉強すればするほど、「もっと学ばねば」という気持ちになります。

働くのは何歳までと、期限を区切るつもりはありません。日本の会社がもっとインドに進出できるように支援を続けていきたいし、日本に帰ったら故郷の山梨県で寺小屋も開いてみたい。5年前から本格的にヨガを始めましたが、ヨガ教室を展開するのもいいでしょう。ヨガでは呼吸と動きが連動します。人生も同じです。息をしているかぎり、きっと動き続けるのではないでしょうか。

中島敬二(なかじま・けいじ)
ナカジマ コンサルタンシー サービシズ会長
1944年生まれ。慶應義塾大学卒。68年住友商事入社。海外駐在はメキシコとインド。自動車部長、インド住友商事社長、本社の広報部長などを経て、2004年住友商事を定年退職。著書に『インドビジネス40年戦記』。在印日本人対象の「中島インド・人生塾」主宰。
(構成=村上 敬 編集=高嶋ちほ子、干川美奈子)
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