定年後・3度目の駐印がきっかけに

私は60歳で住友商事を定年退社し、大阪で住友商事の関連会社であるクボタリースの社長を2年間務めた後、再び本社に呼び戻されました。そして、インドの関連会社に出向を要請されて、これが3度目のインド駐在となりました。

ナカジマ コンサルタンシー サービシズ会長 中島敬二氏

3年間のインド勤務と1年間のインド政府のアドバイザーを務めた後、当初は日本に戻る予定でした。ところが、この間にインドで金型製造会社を営んで資金難に陥っていた日本人経営者より、業務譲渡を打診されました。この経営者が親友だったこともあり、悩んだ末に顧客や設備を引き継ぐことを決めました。

日本で働いていた娘婿をインドに呼び、新会社を設立しました。その後幸いにも黒字経営となりましたが、この事業の将来性に不安を感じていた私は、今なら設備を売却することで投資金額を回収でき、多少の余剰資金を生み出せると考え、3年後に工場閉鎖を決めました。

次に設立したのはコンサルティング会社です。この業務は順調に発展し、累計で日本企業約40社、インド企業約25社と契約を結ぶことができました。いまは私の年齢を考慮し、お客様を絞り、他社では難しい私の経験が活かせる案件のみお引き受けしています。

インドでビジネスすることの大変さを再認識したのは、70歳のときです。デリー近郊のマネサールという日本企業の工業団地に日本食レストランを開業する計画を立てたのですが、アクシデントが続きました。

まずは開業前のトラブルです。建設中の新しいビルに入居を決めて厨房設備やテーブルなどの手配も済んでいたのに、不動産会社から突然、「建設資金不足で完成の目途が立たない」との通告を受けました。幸い、別の物件を好条件で借りることができて事なきを得ましたが、いきなり頓挫するところでした。