前回(http://president.jp/articles/-/1717)、67歳の母が経営する飲食店について述べた。母は2号店を出店したが、新しい店を任せているのは1号店を共に育て上げた、同年代の従業員だ。母の気質や商売の仕方を知り尽くした人なら、問題に直面したとき、母ならどう考え、どんな手を打つかを的確に判断し、対応してくれるだろう。

しかし、会計コンサルティングの現場では、新店舗や業務拡大が上手くいっていないケースに直面することがある。その問題の多くは、経営者の考え方、戦略が浸透していないことに起因している。所変われば、商売の仕方も変わる。パート従業員などを起用する場合も、町が違えば人の気質も違う。そんなとき、現場の責任者に経営者の考え方が浸透していれば、経営理念を根幹にしながら、環境に合った対応ができるはずである。

たまに経営者が「わが社にはいい人材がいない」と口にすることがある。社員の士気を下げる問題発言であると同時に、「自分は人事能力がない駄目な経営者である」と吹聴しているも同然である。必要に迫られて募集をかけても、いい人材など来るはずがない。多くの経営者は人材派遣会社やヘッドハンティング会社が、優れた人材をストックしているような幻想を持っているのではないか。

売り上げアップを担う人材の役割
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売り上げアップを担う人材の役割

そもそも、「いい人材」とは何か。その定義は会社によって異なるはずで、明確な基準なくしては満足できる採用などできるわけがない。人材は、トータル力のあるバランサータイプと、能力が突出しているエキスパートタイプに分けられる。

プロ野球でいえば、北京五輪で野球日本代表主将を務めた宮本慎也選手はバランサータイプ。自身の役割を確実にこなしながら、周囲の人々にそれぞれの能力を発揮させ、チームに一体感を築いていける人材だ。小さな会社がある程度の規模になったときに必要な人材といえる。対してエキスパートタイプは、個の能力を極大化していくことに長ける、イチロー選手のような人材。新規事業立ち上げや新規開拓に力を発揮する。

会社では、新規の受注を受けた際、その注文をこなす社内の部隊が気後れするという問題が起きることがある。すると「担当部署は業務が増えることを歓迎しないのではないか」といった懸念をエキスパートが抱き、新規受注へのモチベーションが保てなくなる。そこでバランサーが社内部隊をバックアップして業務を遂行させる。売り上げを増やすには、そんな連携プレーによる受注後の不安解消が不可欠だ。各ポジションに適した人材を配すること、言い換えれば、適材適所を実現させるための採用を行うことが、経営者、中間管理職の責務である。

どのポジションに適した人材が必要なのかを明確にしない限り、採用は成功しないし、採用された人もまた不幸だ。

私の会計事務所には、私が発行しているメールマガジンを購読し、入社を打診してきた人材がいる。彼は当時、上場企業の社員であり、零細の会計事務所への転職が正しいのかどうか、私も悩まないではなかった。妻帯者でもあったため、双方の妻を交えて4人での面談も経て、採用を決めた。会計に対する私の考え方を熟知したメンバーであること、事前時間を十分に持ったうえで採用を決めたことにより、彼はバランサーとして存分に活躍してくれている。

採用試験は化かし合いである。筆記試験や面接でどれほどのことがわかるだろう。トップが戦略や思想を発表する機会が多い大企業はともかく、中小・零細企業では、採用の事前時間をより多く共有して、お互いの考え方を伝える努力が不可欠といえる。欲しい人材があれば、必要に迫られる前にラブレターを出し続ける、という秘策も必要なのだ。

(高橋晴美=構成 ライヴ・アート=図版作成 )