パナソニック社長 大坪文雄
1945年生まれ。関西大学大学院修了後、旧松下電器産業に入社。2006年同社長に就任。今年10月に社名変更とブランド統一を断行。趣味はウオーキング。座右の銘は「逆境は己を磨く天与の機会」。


 

社名を変更したばかりのパナソニック(旧松下電器産業)が大勝負に打って出た。経営再建中の三洋電機を子会社化する方針を公表した。これが実現すれば、パナソニックは日立製作所を抜き、電機業界トップに躍り出る。

三洋が得意とする二次電池や太陽電池などの事業を取り込むのが狙いとされるが、不採算の半導体事業などの扱いを誤れば、大やけどを負いかねない相手である。大坪文雄社長は極めて高度な経営判断を下したと言える。

破壊と創造で会社を死の淵からよみがえらせた中村邦夫前社長(現会長)からバトンを受け取り、大坪氏はひたすら拡大路線を走ってきた。「グローバルエクセレンス(世界的優良企業)への挑戦」を掲げ、業績不振の日本ビクターを「相容れない」と連結子会社から外す一方、日立やパイオニアとの提携を矢継ぎ早に打ち出した。三洋は一連の提携・買収戦略の総決算となる。

パナソニックと三洋はもともと兄弟会社である。三洋の創業者の井植敏男氏は、松下幸之助氏の義弟で創業時の松下の番頭を務めた。血のつながりを考えれば自然な組み合わせで、三洋再建を主導する三井住友銀行など金融機関3社が当初から想定していた身請け先である。しかし、噂は出てもなかなか手を取り合わない間柄でもあった。

大坪氏は社名から創業者名を外し、幸之助氏が愛した「ナショナル」ブランドを消し去った男である。金融機関から秋波を送られても、血縁や郷愁で動くことはなかった。その大坪氏が決断した。そこにあるのは熾烈な競争を勝ち抜くための冷徹な判断である。

三洋ブランドの維持を記者会見で問われると、大坪氏は「ブランドは重いというのは共感するが、勝ち残って初めて意味がある。単に甘い話だけではない」と言い切った。

(AP Images=写真)