したがって、働きがいや働きやすさ(総称して仮に、従業員にとっての企業の価値という意味で、従業員価値と呼ぼう)を評価するということは、ステークホールダーとしての働く人の視点に立った評価だともいえる。株主が企業を株主価値という視点から評価し、投資先を選択するように、働く人が企業を評価し、自分の知的資本を投下する。そうした比喩も可能かもしれない。株式市場が効率的に運営されるための情報開示と同じで、人的資本が効率的に投下されるための情報開示だといってもよい。

つまり、従業員価値によって企業を評価することは、まず働く人がどこに自分の知的資本を投下するかどうかを考える意味で重要なのである。そのため、労働市場が流動化し、働く人が選択権をもち、選択のための情報が必要な社会では価値が高い。実際、日本よりも労働市場の流動化の進んでいる米国では、こうした評価や、それに基づくランキングは以前から進んでおり、数も多い。

これまでの日本では、働く人は働く場所をあまり自由に選べなかった。株式市場の流動化の速度に比べて労働市場の流動化は遅れていた。確かに、長期雇用でロックインされている場合、働く会社の選択は難しい。でも、ここしばらく労働市場全体で見れば、かなり流動化は進んできた。

さらに考えてみてほしい。やや荒唐無稽かもしれないが、働く人は、雇用を継続しながら、知的資本を投下しない選択肢もあるのである。投下する量や質を減らす場合もあるかもしれない。平易な言い方をすれば、一所懸命に働かないという選択である。

そうしたときに働く人から、高いレベルの努力を引き出すには多くのコストがかかる。やりがいが感じられない仕事をしている従業員をモチベートする難しさを思い浮かべていただければよい。このような状況は、特に長期雇用で人材が確保されている場合に発生しやすいコストである。

従業員視点からの評価を気にすることは重要なのである。働く人にとっては、進む雇用流動化のなかで、自分で働く場所を選択するという可能性が高くなる。そのときに自分の知的資本が最も大きなリターンを生む場面を選択するための基礎情報である。