研究に打ち込むと、人生がよい方向に進みだした

そこで、もうこうなったらグジグジ言ってもしょうがないと、私は気持ちを180度切り替えることにしました。つまり、「考え方」を変えたのです。

それまでは、自分はなんと運のない男かと、情けない思いで過ごしていました。大学を卒業するまでは、まさに不運の連続。中学校を受けてもすべる、大学を受けてもすべる、大学を卒業しても就職試験にすべる。

かなりいい成績で大学を卒業したつもりでいましたから、当時は先生も「稲盛くんだったら、たとえ縁故がなくたって、どこの会社でも採ってくれるだろう」と言って世話をしてくださった。ところが、どこも採ってくれなかった。だんだん不平不満がつのり、世の中がいやになってきました。

『活きる力』(稲盛和夫著・プレジデント社刊)

実は、大学時代、工学部の中に空手部ができて、沖縄から来られた先生が少林寺拳法を教えてくれるというので、私も部に入って空手をやっていました。少し腕っ節に自信がでてきたものですから、こんなに不公平な世の中、縁故でもなければ就職もままならない、それなら、いっそインテリヤクザにでもなってやろうかと思ったこともあったのです。

そんな私が、たまたま先生の紹介で、赤字続きの会社に入ることになった。もともと不平があったところに、ますます不平の種をもらったようなものです。

しかも、同期はみんな不平をこぼしながら辞めていったのに、私だけは取り残された。もう逃げるところがない。そこでひらきなおって、考え方を180度変えたわけです。

その頃、研究室の課長から「この会社は送電線用の碍子をつくっているけれども、それだけではいつまでも続かない。やがてエレクトロニクスの時代がくる。高周波の絶縁性能に優れた新しいセラミックス材料を開発したいと思っている。君にその研究を任せる」と言われて、たった一人でそれを手がけることになりました。たいした文献があるわけでもなく、アメリカの論文が2つ、3つあるばかりでした。

しかし、もう逃げるわけにはいきませんから、私はその研究に没頭することにしました。研究に没頭し始めると、寮に帰る時間もだんだん惜しくなってきて、寮から鍋や釜などの自炊道具を研究室に持ち込み、実験が終わったらそのままそこでご飯を炊いて食べて、椅子の上で仮眠をとる、という毎日を過ごすようになりました。そうやってまじめに精魂こめて打ち込みだすと、少しずつ成果が出るようになったのです。成果が出るから、自分でもおもしろくなる、おもしろくなるからさらに打ち込む。

そのうち上司もほめてくれるようになり、その話が役員にまで伝わって、わざわざ役員が研究室まで訪ねてこられては、「君が稲盛くんか。すばらしい研究をしているそうだな」と声をかけてくれるようになる。そうなるとますますおもしろくなって、ますます頑張るようになる。

そのように、よい方向に転回していったのです。