日本国憲法最大の問題は「国民投票を経ていないこと」
現在の日本国憲法には、大日本帝国憲法改正手続き無効論やGHQ押し付け憲法論、貴族院審議介入不適切論といった批判が向けられている。だがその中では語られていない、重大かつ決定的な成立過程の欠陥が日本国憲法にはある。それは「国民投票を経ていない」という成立過程の欠陥だ。
終戦からサンフランシスコ講和条約による主権回復というあのバタバタした時代に国民投票をやれといっても難しかったに違いない。主権回復後の高度成長時代を含む日本復興期間に国民投票をやることも難しかっただろう。しかしどこかでやっぱり国民投票を1回は入れないと、国民主権を標榜する日本国憲法の正統性は担保できないね。国民投票はそもそも日本国憲法を「誕生させる」ために必要不可欠なんだ。
世界的に見れば国民投票を経ないで成立した憲法があるのも事実だが、日本においては憲法誕生に際して国民投票は絶対に必要だ。それは日本国憲法の改正手続きを定める憲法96条が根拠の1つになる。憲法96条を見ると、日本国憲法の改正には衆参それぞれで3分の2の議員による発議と国民投票での過半数が必要となっている。つまり、憲法をちょっといじる「改正」だけでも国民投票のプロセスを踏みましょうというのが日本国憲法の価値観。であれば、憲法誕生という大本の最初の部分で国民投票のプロセスを踏むことが法理論として理にかなっているし、実際国民投票を経れば、押し付け憲法論などその他の手続き的な不備は言われなくなるだろう。
だからこそ、一度は憲法について国民投票のプロセスを踏む必要がある。これは憲法誕生の過程で忘れてしまった国民投票を今やるという位置付けなので、憲法を改正するにせよ、改正せずに今の憲法を維持するにせよ、どちらであっても国民投票を行う必要がある。
つまり今多くなされている議論は、憲法改正派からの国民投票をやるべきだ! という主張だが、実は護憲派であっても国民投票から逃げるわけにはいかないということだ。
もちろん憲法改正にともなう国民投票では改正するところのみが対象になるから、それ以外の憲法の条文は国民投票を踏んだことにはならない。護憲の場合には、変えるところがないので国民投票はできない。
しかしここは国民全体で憲法を議論して1票を投じるという国民投票のプロセスに意義を見出すのだから、改正案についてだけの国民投票でも十分だし、護憲派も憲法の中身自体には全く影響のない1文字だけの変更案を示してでも国民投票の洗礼を受けるべきだ。
今は、護憲派は憲法改正の国民投票に反対するのみだ。国民投票では有権者がその時の風に流されて憲法改正が決定されるリスクが高いと言う。しかし護憲派が今の日本国憲法は国民の支持を受けているという根拠は何なのか? 護憲派は自分たちの考えが絶対に正しいと信じ切っているがそれは傲慢過ぎないか。護憲であっても国民投票を1回は踏むべきである。