名古屋は不思議な土地だ。かつてタモリは「エビフリャー(エビフライ)」「ミャーミャー言葉」といった“名古屋弁模写”をネタにして、名古屋人の不興をかった。だが、今年6月放送のNHK「ブラタモリ」でタモリが名古屋を褒めると、スポーツ紙などは「歴史的和解」として報じ、名古屋地区での視聴率も過去最高だったという。名古屋生まれの作家・清水義範は、著書『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)で、愛を込めて故郷を「偉大なる田舎」だと論じている。本書から、「お値打ち」なものが大好きな名古屋人の、独自の価値観を紹介する。

すべてを、得か損かで考える

すべてにおいて、これは得だわ、というものには飛びつき、これは損だわ、というものには手を出さないという意味において、名古屋の人というのは非常に功利的なのである。

そのせいで、街の景観に魅力がない、ということもおこる。名古屋駅前とか、栄のような繁華街を見てみても、ただ四角いビルが並んでいるばかりで、デザインの面白いビルがほとんどないのだ。だから街の印象がフラットで、目を引かれることがない。

石原裕次郎が名古屋のことを歌った「白い街」という歌(ヒットしなかったので知る人は少ない)があるのだが、白い街とは、名古屋のパッとしない景観をよく表している。なんだか街が白々しいのである。

つまり、ビルを建てる時、凝ったデザインにすれば建築費がかさむわけだ。ビルは頑丈に機能的にできていればそれでよく、デザイン代に高い金を払うのは損だというのが名古屋人の考え方なのだ。だから街に、あっと目を引くような魅力がない。

付加価値がわからない

ビルのデザインといえば、中部国際空港(セントレア)のビルの話が面白い。あの建物はもともとのプランでは、滑走路側の壁面がうねうねと波打っているデザインだったのだそうだ。ところが工事の前になって、この側面の壁を真っすぐにしたら工費はどれだけ安くなるか、という話が持ちあがり、計算してみた結果、真っすぐの壁に変更になったのだそうだ。ビルのデザインに金をかけるのはもったいない、という功利点な考え方が通ったというわけだ。

そういう精神があるから、名古屋の景観はどうもパッとしないのだ。名古屋駅のすぐ前に建ったトヨタ自動車の名古屋オフィスのあるミッドランドスクエアを見ても、まことに奇をてらったところのない質実剛健なビルで、この面白さのないところがトヨタだよな、なんて感じてしまう。

デザインよりも実質価値を重視するのが名古屋人の功利性である。

それで、実質価値という言葉が出て、思いあたることは、名古屋人には付加価値というものがわからない、ということだ。

付加価値とは、商品の持っている実質価値以外の魅力のことだ。一見なんでもないような商品だが、これはあの有名店のもので、そのことに価値があるのだ、というのが付加価値である。