「お値打ち」価値観しかない

それで、名古屋に京都などの有名料亭が進出しても、うまくいかず撤退してしまうことが多いのだそうだ。名古屋人は食事をとるのに、その店の名、という付加価値をあまり感じないからだそうだ。

たとえば有名料亭では、1回の食事に5万円もかかったりする。その5万円のうちのいくらかは付加価値代なのだ。

私も、この店で食事をとれるようになったか、という満足代が5万円の内に入っているのだ。

ところが名古屋人には付加価値がわからないから、1回の食事で5万円は高すぎやしないか、と考える。その料亭の名前の代金だという発想がないのである。

そして、そもそもこれ原価はいくらぐりゃあのものだ、と考えてしまう。そして、5万円は法外だわ、と結論が出るのだ。名古屋人には実質価値しかわからないからである。

名古屋人は、この安さでこれが食べられるのはすごく得だ、という「お値打ち」価値観しかないのである。

ブランド物が大好きな理由

ところが、その実質価値しかわからない名古屋の人が、ファッション関係のブランド品には敏感で大いに愛好するのである。

シャネル、プラダ、グッチ、ティファニーなどといったブランドの、服やバッグやスカーフなどはかなり高くても買うのだ。むしろ大いに愛好している。

なぜならば、ファッション関係のブランド品は身につけていれば、他人に見えるからなのだ。他人が見て、あっ、シャネルだわ、と驚いてくれるところがいいのだ。

清水義範『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)

見えないおしゃれは意味がないが、見て、あっあれだわ、と思われるのは実質価値であり、大いに見せびらかしたいのだ。

そういうことだから、マイナーなブランド品では意味がない。誰が見ても、あっあれを持ってる、とわかる超有名ブランドでなければならないが、それはとてもほしいものなのである。

損か得かでしか価値を考えない名古屋人だが、超一流ブランドのファッションは、誰にでも見えるものだから得なものなのである。

このあたり、とても微妙である。一流料亭で食べても、自分に満足感はあるかもしれないが他人には見えない。他人に見えないところで高い料金を払うのは損なことである。

しかし、一流のファッション・ブランドのものは他人に見えて、一目置いてくれる。だから得なのである。

名古屋人は他人に見えるところでは大いに見栄を張る。うらやましいでしょう、と見せびらかす感じさえある。