一見無関係なことが結実して相乗効果を

定年後に舞台を海外に移すという選択肢もある。

JA神奈川県中央会を退職後、氣賀澤忠文氏はJICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとして、04年から2年間、ネパールに赴いた。定年後の働き場所を発展途上国と決めたのは49歳のとき。NGOで活動する友人からネパールでの植林作業に誘われたのがきっかけだったという。

海外ボランティア 氣賀澤忠文(71歳)

「現地の人と触れ合う中で、『ここで一緒に暮らしたい。今までの仕事を生かして何かできるのではないか』という思いが芽生えました。そこには私が幼い頃の原風景が広がっていた。父が農村医療の改善に力を尽くしてきたことを思い出したのです」

村の中に農業協同組合と病院が並ぶ姿を見て、父と自分を重ね合わせたという。

「今の仕事から一歩踏み出して考えてみる。仕事以外のネットワークを持つことが、現在につながっているように思います。30代は合唱団に入ったり、NGOに関わったり常にせわしなく何かをしていました」

JA神奈川県中央会に在職中は教育、企画、人事の仕事に携わった。自他ともに認める仕事人間だったという。

「1989年に開催された『横浜博覧会』では、神奈川県下のJA・連合会が拠出した1億5000万円を生かして、農業の振興と農協のアピールに成功しました。新しい仕事を次々にこなしていくことが好きだったのです」

実は54歳のときに臨床心理士を志した時期もあった。友人に「それならカウンセラーをやってみないか」と紹介されたことをきっかけに、薬物依存症の青年の更生と自立を援助するNPO(非営利団体)「ダルク」に参加する。

「どん底までいった青年が更生していく姿を目の当たりにして、どんな人でも希望が持てると学びました。県中央会は総合的に農家の営農や生活に関わってきたので、ネパールでも現地の農民とどんな話でも対応できる。かつて編集に参画した写真で見る農協史の本を持っていけば、農業の始まりから現在までのことを絵解きで説明することもできます。一見関係ないように見えるすべてのことが、ネパールで役だっていると痛感しました」

だが、JICAの海外ボランティアとして活躍するには、語学力をはじめとする厳しい採用試験をクリアする必要があるのではないか?

「たしかに英語力は必須です。語学学習という意味では、私も55歳からNHKラジオ『基礎英語1』を聴きはじめ、定年間際には難易度を上げて『実践ビジネス英語』を聴いていました。ネパールに行く前の1年間は仕事も定時に終わっていたので、NOVAで中学生や若い女性と机を並べて学びました。JICAの試験前にTOEICを受験しようとしましたが、当時すでにTOEIC530点のスコアを持っていたので、応募要件は満たされていました。実は採用の際、何よりも重視されるのが、『海外に行って何をしたいのか』だと、関係者から伺いました。次いで健康。3番目に語学力でした」

2015年2月には、IDACA(アジア農業協同組合振興機関)の事務所長として、ミャンマーの地に降り立った。そこではネパールの経験を生かし農民の組織づくりを目指す。まだまだ、人生の荷を下ろすことはできそうもない。

▼氣賀氏の経歴
1968年:慶應義塾大学 経済学部卒業
1969年:JA神奈川県中央会に入会
2004年:同会を定年退職/JICA シニア海外ボランティアとして2年間ネパールへ
2015年:アジア農業協同組合振興機関(IDACA)の事務所長としてミャンマーに赴任

(遠藤素子、澁谷高晴=撮影 AFLO=写真)
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