「ねばならない読書」はもうやめよう

むしろ重要なのは、「すべてを記憶しなければならない」というような謎の義務感を持たないことである。そもそも、その本のすべてを記憶することはまず不可能だ。少なくとも読書とは、読む速さや知識の量を競うような性質のものではない。速読が得意な人もいるだろうし、スポンジのようにすべてを吸収してしまえる人もいるのだろうが、別にそういう人を目指す必要もない。

端的にいえば、10のうち、自分にとって大切な1が頭のなかに残れば、その読書は成功だと考えるべきなのである。なぜなら、その読書における主役は自分だからだ。自分が納得できれば、それで完結するのだ。

だから、読むのが遅かろうが理解力が足りなかろうが、なんら問題はない(そもそもその手のコンプレックスは、自分の単なる思い込みだったりもする)。何度でもいうが、その読書は誰のためでもなく、“自分のためのもの”だからだ。だとしたら、どれだけ時間がかかろうが、他人にどうこういえるものではない。自分のペースで読めばいいのだ。

 

昨日は50ページ読んだけれど、今日は3ぺージしか読めなかった。明日はどうかな? そんな調子でOK。つまり、そういう意味でも夏休みは読書に最適なタイミングであるといえよう。

蛇足ながら、多くのビジネスパーソンが読書に対する義務感から抜け出せないことについては、個人的には学校教育の弊害だと考えている。しかし、それではいけないのだと思う。

「そこからなにかを得なければならない」「筆者の意図を理解しなければならない」「感銘を受けなければならない」、児童であれば「読書感想文を書かなければならない」、大人なら「(その本のために出したお金の)モトをとらなければならない」ということになっていくのであろうが、はっきり断言しておく。“ればならない”ことはすべて無駄だ。それらは、純粋な読書欲求を潰してしまいかねない。

本当は、なにも得なくても、理解しなくても、感動しなくても、モトがとれなかったとしても、言葉にできない“小さななにか”が残ったのであれば、その読書には価値があるのだ。そして先に触れたとおり、そのような読書姿勢が“心を豊かに”してくれるのである。

だから、この夏休みにはぜひ、本を手に取ってみてほしい。ビジネスのためでも、息抜きのためでも、目的はなんでもいい。なんであったとしても、その読書は夏の記憶とともに、心のどこかに刻まれるはずなのだから。

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