問題点をよくつかませるには、最も混んでいる日が一番いい。どんなところで、どんなふうに、お客を待たせてしまっているのか。それがサービスとして、いかに厳しいことか。そうした実感を得て、顧客第一の手を打つのが「現場主義」の基本だ、と思う。

ほどなく、部下が対応策をまとめた。お客が狭いところにぎっしり待っていた地点には、外に待つ場所を確保し、線を引いて順に進むように変える。近くにATMがない地点では、一度に5件の操作までで交代してもらうように呼びかける。振込件数が多い商工業地区では、ATM自体を増やす。もちろん、利用が想定より少なかった場所では、台数を減らす。

このとき着眼した改善点は、いまも通じることが多い。とかく本部は数字のみで「現場」に指示を出しがちだが、いつも「なぜ、そうなっているのか?」「正しいのか?」を、徹底的に分析させた。これも、いまでも基本だ。

振り返れば、「現場主義」の原点は、北拓時代の1993年1月から2年3カ月、40代初めに務めた清田支店長時代にある気がする。札幌市東南部、クラーク博士像が建つ羊ヶ丘近くの支店で、周辺は宅地開発が進んでいた。行員約50人の中型店で、そう遠くない自宅からバスで通勤した。

銀行員として一度はやってみたい支店長。若さが残り、肩に力が入っていた。そんなとき、ある先輩に言われたことが、自分を大きく変えた。「支店長になったら、時間帯をいろいろ変えて、店をみたほうがいい。例えば毎朝8時半にいくのではなく、たまに一番早くいってみる。帰りも先に出るのではなく、最後に帰ってみる。すると、人の動きがよくみえるよ」。

ある大雪の朝、「大変だ」と思い、早朝に支店へ出た。お客の出入り口は業者が雪かきをするが、行員用の通用口は自分たちでやらねばいけない。みると、もう雪かきしている人がいた。新入行員だ。「きみ、偉いね」と声をかけたら、「女性たちが大変だろうと思い、早くきてやっています。まだ仕事はあまりできないから、これくらい頑張らなくては」との言葉が返ってきた。思わず、ぐっ、とくる。こういう思いが、自分たちの仕事を支えている、と頷いた。

「有基無壊」(基有れば壊るること無し)――何事も基本がきちんとしていれば失敗はない、との意味だ。中国の古典『春秋左氏伝』にある言葉で、基本からぶれないことの大切さを説く。顧客第一の基本に「現場主義」を置き、貫く石井流は、この教えと重なる。