「あんまり長生きはしたくない」と思った理由

もちろん50代で亡くなるのは早過ぎるわけで特別なケースといえます。現在の日本人の平均寿命は男性が約81歳、女性が約87歳。それを裏づけるように今の60代、70代は総じて元気です。

たとえば、登山。私も学生時代、経験したので分かるのですが、剣岳といった難易度の高い山にも60代以上の方が平気で登っています。ただ、その事実を知るのは「遭難の報」ですが……。遭難者の年齢が60何歳とか聞くと、気の毒と思う以前にその挑戦意欲に感心してしまいます。

まあ、厳しい山に挑む高齢者はごく一部なのでしょうが、そんな感じで今の60代、70代はやたらと元気。還暦を迎えるトシになったからといって弱気になる人は少ないようです。

こうした趣味や楽しみだけではなく、仕事でも現役を続けようという60代、70代は少なくありません。

つい最近、中学時代の同級生と会う機会があったのですが、「今年定年を迎えるのだが仕事を辞める気は毛頭ない。退職後はそれまでの人脈や身に着けたスキルを生かした事業を興す」と力強く語っていました。

というわけで、60歳を目の前にしても、衰えはほとんど感じず、ましてや死が近づいているなどとは考えもせず、意欲的にさまざまなチャレンジを続ける人がいる。私のように、死が遠いことではない年齢になったと受け止めるのは少数派なのかもしれません。

ただ私の場合、父親の介護をし当欄にその体験を書く機会を得ました。

それがきっかけで引き続き介護の専門家に話を聞くなどして、介護にまつわる問題を書いています(連載「介護の常識・非常識」http://president.jp/articles/-/14617)。介護体験を通して、専門家から聞いた介護現場の厳しい現実を知って、「あんまり長生きはしたくないな」と思うようになったということがあります。

そんな心境になった私にピタッとはまったのが生物学者が書いた本でした。

本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間――サイズの生物学 』(中公新書)

学術的な内容ではなく、生物学者の目から見た現代社会のありよう(おかしな点)や生き方などが書かれたもの。そうした本を読むと、生きるということの意味を考えさせられます。

人間以外の生物が生きる目的は種の保存、子づくりをして命のリレーをすることです。生殖を済ませた時点で命を落とす生物はたくさんいますし、相手探しの争いに敗れて死ぬものもいる。何年も生きて毎年のように子づくりをする生物もいますが、それにしたって年老いて衰えると、食べ物を獲得できなくなったり天敵に襲われたりして死を迎えます。つまり「老後」はないわけです(動物園にいる動物は別として)。

しかし、頭脳が発達した人間だけは違います。農耕を始めて食糧の備蓄をするようになった。「お金」という別の価値も生み出した。それに医療の発展が加わって寿命はどんどん伸び、「老後」が生じたわけです。

老後のためにお金を貯めるなど、しっかり準備した人、死ぬまで好きなことをして生きていける。これは人間だけに与えられた特権です。しかし、その一方で介護というやっかいな問題も生じました。