2016年1月13日(水)

手続き論ではなく、野党はどういう勢力で結集するか考えよ

塩田潮の「キーマンに聞く」【19:前編】川端達夫(衆議院副議長)

PRESIDENT Online スペシャル

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なぜ自民党は臨時国会を開かなかったのか

【塩田潮】2014年12月の総選挙の後、衆議院副議長に就任されました。本来、議長と副議長はどんなふうに役割を分担するのですか。

川端達夫氏(衆議院副議長)

【川端達夫(衆議院副議長)】本会議で法案の採決があるときは、いくら長くなっても交代せず、議長が務めます。最大会派から議長、二番目の会派から副議長というのが通例ですが、議院内閣制ですから、最大会派は与党です。内閣と議会は独立しているとはいえ、内閣提出の法律が採決されるとき、与野党が対立する法案の場合、政党の立場でいえば、議長は基本的に賛成の立場、われわれは反対の立場です。反対の者が議長席にいれば「採決はやめときましょう」と言える権利があるから、慣行上、特に内閣提出の法案の採決では、議長は副議長には代わらない。もともと本会議は、衆議院の場合、議長が着席して「これより会議を始めます」という言葉で始まる。これを発するのは議長で、副議長が発することはないというのが前提です。

【塩田】副議長就任後、当時の町村信孝議長(元外相。故人)が15年4月に交代し、少しの間、議長不在のときがありました。

【川端】交代前の水曜日に、町村議長から「ちょっと体調が悪いので、申し訳ないが、明日と明後日の本会議を代わりにやってほしい。検査中で、週明けに結果が出る」と言われ、「これより会議を始めます」というのを私がやりました。日曜日の夜に、衆議院の事務総長から「議長が話をしたいので、月曜日の昼に議長室に来てほしいと言っています」という話がありました。地元の滋賀県にいましたが、慌てて上京した。議長は「検査の結果、治療に専念したほうがいいと言われた」と言われ辞職願いを出されました。直ちに後任の議長を選任することになりました。お辞めになって一か月余りで亡くなったので、びっくりしました。

【塩田】副議長は民主党の赤松広隆氏(元農水相)の後任ですね。

【川端】多少の例外はありますが、慣例的に与党第一党から議長、野党第一党から副議長となっていて、一般的に当選回数による序列で決まっています。民主党は当選12回が菅直人元首相と横路孝弘元議長で、赤松氏、大畠章宏元幹事長(元経済産業相)、岡田克也代表(元外相)、高木義明元文部科学相が9回です。私は12年の総選挙で落選したのですが、戻ってきて当選10回で、菅、横路の両氏の次ということで、順番から見て妥当な人事かなと思います。

【塩田】15年後半、野党が臨時国会を要求しましたが、政府・与党は見送りました。

【川端】憲法第53条で「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とあります。これは臨時国会のことで、通常はほぼ開かれてきました。ところが、内閣はいろいろ日程が忙しいという理由で、結局、開かなかった。当然、憲法の規定に触れるのではないかという批判が強くなりましたが、内閣は、通常国会の時期が来てしまったから、それをちょっと早めにやります、というようなことになった。憲法は、いつまでに召集するという期限について規定がない。そんなことまで想定してなかったのでしょう。

大島理森議長もいろいろと努力され、安倍晋三首相に対して、「こういう要請が出ましたので、国会の召集をしっかりご検討下さい。重い話ですよ」と当然、伝えたのですが。

【塩田】安倍首相は野党から要求があった臨時国会については何も触れずに、15年11月16日に外遊先のトルコで「16年1月4日に通常国会召集」と言いました。

【川端】国会の召集は内閣にありますから、手続き上、フライングしているわけではないと思います。それでも、臨時国会を開くことができたのに、なぜ開かないのかという話は野党側から出たのですが、なぜか頑なでしたね。

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