1979年は日本の英語自己学習元年

【三宅義和・イーオン社長】今回は、アイ・シー・シー代表の千田潤一先生にお話をお伺いします。千田先生と私との出会いは、15年ほど前に、千田先生と國弘正雄先生が書かれた『英会話・ぜったい・音読』(講談社インターナショナル)という本でした。購入して、自分で実際にやってみて、非常にその効果を実感しました。いきなり、先生にメールを差し上げたのにもかかわらず、丁寧な返信があったわけです。

とにかく、英語はトレーニングだと。英語はスポーツだという、そのメッセージが非常に強烈でした。英会話学校に通いながら、レッスン以外でも自分で効果的なトレーニングを行う。これは日本における最強の英語上達法だという感動がありました。

三宅義和・イーオン社長

千田先生はTOEICがここまで広まってきた最大の貢献者でいらっしゃいます。TOEICの誕生は1979年。その誕生の陰に北岡靖男さんという、1人の日本人の存在があるわけですが、そもそも、北岡さんはどのような人で、千田先生は北岡さんと、どのような出会いだったのでしょうか。

【千田潤一・アイ・シー・シー代表】当時、北岡さんは、雑誌『タイム』を発行するタイム・インクの元アジア総支配人でした。そのときに、私はタイムライフ教育システムという、タイム・インクの子会社の新入社員。初めて北岡さんに会ったのは、77年でした。

北岡さんはアジア総支配人でしたから、仕事で世界中、とりわけ、アジアを回って歩いていた。すると、現地の日本人のビジネスマンとも、当地のスタッフを交えて英語で話すわけです。そのときに北岡さんが感じた危機感は「いまの日本人の英語力だと、将来の日本は危ないぞ」ということ。要するに、英語のコミュニケーションで競争相手に負けてしまうということでした。

それで、日本人が国際的な場面でのコミュニケーション、国際コミュニケーション力をつけなければいけないという思いで設立した会社が、国際コミュニケーションズです。実は、TOEICを発案したのは、いまの財団ではなくて、この会社なのです。その社長の北岡さんがアメリカに飛んでETS(Educational Testing Service)に行き、TOEICの開発を提案したわけです。

北岡さんは、ETSに行った理由をこう説明していました。「世界中に、あるいは日本中に、いろんな学習法とか教材とかあるけれども、みんな『自分のところが一番良い』と言うわけです。ところが、それを証明する、“誰もが納得できるような客観的な共通の物差し”は、どこにもない。そこで、まずは客観的な物差しとして、プロフェッションシーテスト(Proficiency test)、すなわち、運用能力を測るテストをつくろうということになったのです。それができるのは、ETSしかないということで渡米したわけです」

ETSに話したところ、「TOEFLがあるじゃないか」という反応で最初は冷たかったそうです。ところが、北岡さんは「TOEFLは足切りテストでしょう。切られた人たちの能力がわからない。私が提案したいのは、下から上まで測れる長い物差しだ」と説得したそうです。

北岡さんは、TOEFLが30センチの物差しならば、1メートルの物差しをつくりたいのだと熱心に訴え続けました。その結果ついに提案が受け入れられETS調査団の来日に至りました。調査団は、実社会が必要とする英語はどんなものなのかということをサーベイし、その結果をもとにTOEICの製作を開始したということです。

第1回のTOEIC公開テストは79年の12月に実施されましたが、この年の7月にソニーの「ウォークマン」が発売されています。僕は、この79年が日本の“英語自己学習元年”だと思っています。自分で自分のレベルがわかり、目標設定ができ、進捗度がチェックできる「TOEIC」。そしてもうひとつ、移動中にカセットテープに録音した英語の音源で自己学習ができる「ウォークマン」という画期的な発明があったわけですからね。