日本、韓国、台湾から連れていった

慰安婦問題が日韓間で問題になっている。しかし、そもそも慰安婦問題とは何なのか。その本質を理解している日本人は多くないかもしれない。

慰安所がつくられるきっかけになったのは南京事件(1937年)だとされる。日本軍が中華民国の首都・南京市を占領した際、現地の女性に対し、相当数の暴行を行った。民間女性への暴行は、あってはならないこと。そのため、性処理をする女性部隊を戦争の前線に送る必要性が高まった。

慰安婦の目的は、主に3つある。1つは民間の女性をレイプしないため。上記の反省を踏まえてのことだ。2つ目は、性病予防。3つ目は、機密の保護。現地の女性と親しくなって、軍の秘密が漏れるのを防ぐためである。

どこの女性が慰安婦になったか。これは大きく分けて2通りある。1つは日本本国から連れていった人。これには日本本土に加え、韓国と台湾も含む。当時の韓国と台湾は日本の植民地だったからだ。もう1つは現地調達である。フィリピン、インドネシア、中国などで、現地の女性を慰安婦にした。

本国からの女性の場合、調達の方法がしばしば議論になった。直接、軍が行ったのか、それとも、ほかの業者などが行ったのか。この点に関しては、軍が直接、調達行為をしたわけではなく、民間業者が女性を集めたというのが現在の通説だ。民間業者とは、すなわち女衒(ぜげん)である。日本本土、朝鮮、台湾など、それぞれの地で女衒が軍の需要を満たす女性を集めて、送り込んだ。その際には、さまざまな形の金銭の支払いがなされたであろう。

慰安の内容が売春であることを女性本人が認識していたかはケースバイケースだろう。だまされて赴いた女性もいただろうが、その割合はわからない。

強制連行があったのかどうか。官憲が女性の首根っこを捕まえてトラックで拉致していくような「狭義の強制性」があったのかどうか。これまでのあらゆる調査で、日本の官憲が狭義の強制をもって連行したという資料は出ていない。ただ、資料の有無については、現地の軍が残したすべての資料が敗戦とともに焼却されたことが、日本側の議論の迫力を少々弱めている。