どうしても助言しづらい状況で、いかに話すか。中国古典と講談の世界から、「常識外れ」の切り口をご紹介しよう。
Q1 アイツに「倍返し」をしてやりたい
【守屋さんの答え】

「倍返しだ!」。テレビドラマ『半沢直樹』の主人公は、敵対する上司に対し、その面前で「やられたら、やりかえす」と宣言します。このセリフに溜飲を下げた方も多かったことでしょう。

守屋 淳(もりや・あつし)氏●1965年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大手書店勤務を経て、作家として独立。主な著・訳書に『現代語訳 論語と算盤』『ビジネス教養としての「論語」入門』などがある。

しかし、私が専門にしている中国古典の世界では、こうしたやり方は愚の骨頂だといわれています。たとえば『孫子』には「兵は詭道(きどう)なり」という有名な言葉があります。

古代中国は、多数の敵に囲まれ、一つの負けが滅亡につながるという厳しい状況でした。だから、相手を騙してでも勝つべきだと説いたのです。これは現代でも同じでしょう。テレビドラマとは違い、現実世界では、敵との対立を繰り返していれば、命がいくつあっても足りません。

『老子』には「ちぢめんと欲すれば、かならずしばらくこれを張る」とあります。これは縮めようとするなら、まず伸ばしてやる、つまり、勢いに乗っているライバルは増長させてから叩き潰せばいい、という意味です。『孫子』に「朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰」ともあるように、中国では、勢いには盛衰や波があると考えられています。調子に乗らせて、自ら墓穴を掘るのを待てばいいのです。

『十八史略』には唐代の名宰相・婁師徳(ろうしとく)が残した「唾面自乾(だめんじかん)」という言葉が収められています。顔に唾を吐きかけられたとき、顔を拭えば相手の怒りを買うかもしれないから乾くまで笑って待て、という教えです。

怒りに身を任せて、「倍返しだ!」と叫んでも、現実には殺されておしまい。我慢や忍耐は、生き残るための処世術です。表面ではひたすらニコニコ笑いながら、復讐のチャンスをじっと待つ。中国の古典はそう教えています。