「いい提案が上がってこない」と嘆くよりも、自分で考えよう。自らがアイデアを出し、会社を引っ張っている社長たちをご紹介する。

初ヒット出るまでは「金をドブに捨てる」

大阪・東成区にある旭電機化成本社4階のショールームには、思わずニヤリとする商品がずらりと並ぶ。ブランド名は「スマイルキッズ」。いずれも普段の暮らしで、ちょっと困ったときに役立つアイデア商品ばかりだ。

1人で背中に湿布を貼れる「しっぷ貼り ひとりでペッタンコ」は10万個、配線なしで点灯する神仏用品の「安心ろうそく」は20万個売れたヒット商品。単三乾電池を単一サイズで使える「乾電池アダプター」は、シリーズ累計100万個は売れているとか。

プラスチック部品の加工を業務としていた同社が下請け脱却を目指し、自社商品の開発に乗り出したのは20年ほど前。現在、商品数は約500点に上り、その売り上げは同社の年商約23億円の半分近くを占める。

「20年前、これに取り組まなければ、早晩倒産していたかも」と当時を振り返るのは専務の原守男さん。自社ブランドの確立を牽引してきた人だ。

旭電機化成 専務取締役 原 守男氏●1957年、大阪市生まれ。81年名古屋工業大学卒業、京都セラミック(現・京セラ)入社。85年、旭電機化成入社。93年、自社ブランド「スマイルキッズ」立ち上げ。97年、中小企業型アメーバ経営コンサルティング開始。

「バブルの頃は、売り上げが50億円という年もありました。しかし、バブル後は一気に受注が減り、10億円を割るまでになりました。円高が続き、顧客の大手企業が製造の拠点を、どんどん海外に移していったからです」

このままでは会社が立ち行かない。だが、商品を自社で開発するとなると、持ち上がるのは難題ばかりだった。

「下請けは発注通りのものはつくれても、ゼロから企画して商品をつくり出すノウハウは持っていません。まず部品の調達をどうするのか。自社でつくるとなると、新たに金型を起こさなければならず、コストもかかる。さらに、小売り営業などはしたことがありませんから、販路の開拓も大問題でした」ただ同社の場合、まったく下地のない状態から自社商品の開発に着手したわけではない。1980年代からOEM供給を手がけ、自社商品開発に向けたノウハウをある程度は蓄積していた。

しかし、それでも思うにまかせなかった。本格的な取り組みは93年ごろに始まるが、当初は自社商品をつくっても売り上げにつながらず、5年間は「初期投資の金をドブに捨てているようなもの」(原さん)だった。

スマイルキッズ最初のヒット商品が生まれたのは98年。「スイッチマルチ」というコンセントごとにスイッチをつけたテーブルタップが、パソコンブームに乗って爆発的に売れた。その数、年間で約150万個。その後続々と類似商品が現れ値崩れを起こしたため撤退したが、「自社ブランド確立への手応えをつかんだ」と原さんは言う。