表層的な「シェア」では意味がない

また、目標は個人で別々に設定して達成しようとするよりも、チーム全体で共有し、その成果や達成感も個人という境界を越えて共有できるほうが、仕事における満足度や幸福度が高いということも考察できました。今はやりの「シェア」ってやつですが、それは単に情報や知識を共有できればいいというものではなく、喜んだり悲しんだり、悩んだり怒ったり、共に試行錯誤して「協働」するプロセスを「シェア」しなければなりません。ただ結果や結論に対して「いいね!」とか「シェア」をしても、その過程が共有されていなければ意味がない、ということです。

つまり、もっと当事者同士が、もみくちゃになって感情をぶつけ合わないとダメなんです。痛みや思いやりは、その過程の中でこそ体感でき、体現されていくものじゃないでしょうか。そして、僕たちが便利だと思い込んでいるさまざまなルールや横行するマネジメントシステムの多くは、それらを抑圧するものに他ならないと思うのです。短期的に見ればなかなか合理的かもしれませんが、長期的には、あまりに非人間的ですっかり破綻しているように感じます。

僕が企画してきたこれまでの取り組みにおいては、できるだけそれらをストレートに導入して、実験できるように努めてきたつもりです。結果がよめず、コントロールできないのは怖いですが……。

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