「認可」よりも大切なことは信仰への理解

ここまで述べたように、ハラール認証というのは、取得に労力はかかるし、詐欺まがいの認証団体につかまる心配もある。もし私が日本で普通に商売をしていたとして、わざわざ取得しようとは思わないだろう。例外と言えるのは、客単価が高く、ある程度まとまったムスリムの集客が見込める高級ホテルであったり、あるいは少額であってもおみやげとして大量の購入が見込まれるお菓子などだろうか。それでも「認証」と名のついたものを欲しがるのが日本企業だ。かつての民百姓とお上ではないが、「認可をくれてやる」と言われると、「へへーっ」と頭を垂れてしまうのだ。そうではなくて、心の底から異文化の人々を受け入れたいと思っているならば、ハラール認証を受けることが唯一の道ではないと私は思う。料理店であれば「この料理には豚肉と豚の脂は使用していません」とメニューに書くだけで、結構な割合のムスリムは安心して食事ができたりするのである。一方で、敬虔なムスリムの場合、少なくとも現段階において、ハラールレストランをわざわざ探して食事をするということはほとんどない。自分で料理したり、あるいはトルコ人が経営するトルコ料理屋のように間違いの起きようがない店に行く。私は日本で酒が置いていないトルコ料理屋を見たことがない。酒を置いているというのは既にハラールではないわけだが、豚と違い、酒に関してはムスリムの間でも対応はまちまちで、酒を一滴も飲まないムスリムと、酔っ払って騒ぐムスリムと、そして日本人が同じ空間をともにしているというのは、悪いことではないと私は思う。むしろ日本においてハラールを追求することは、文化的な観点からも問題があるのではないかと思っている。