山田純大(やまだ・じゅんだい) 1973年生まれ。東京都出身。俳優。ハワイの中学・高校を経て、米ペパーダイン大学国際関係学部卒業。97年、NHK連続テレビ小説「あぐり」でデビュー。その後「水戸黄門」「鬼平犯科帳」「剣客商売」「男たちの大和」「相棒」「半沢直樹」などテレビ、映画で活躍中。父は俳優・歌手の杉良太郎氏。

人の真価は「棺を覆って定まる」―― という。本書は、日本では無名だったものの、海外では今でも「この日本人あり」と崇められている一人の「義人」の発掘物語である。「義人」の名を小辻節三(1899~1973年)という。

昭和15(1940)年夏、欧州のリトアニアで6000人のユダヤ難民に「命のビザ」を発行した杉原千畝(ちうね)はよく知られている。

小辻は、杉原と接点はなかったが、シベリア鉄道でウラジオストクに着いた彼ら難民を義の心で日本に誘導し、無事に希望国へ送り出した人物であった。

この小辻節三の存在を米国で発掘したのが俳優の山田純大さんである。

山田さんは、中学・高校をハワイで過ごし、米国の大学に進んだ。学生時代に映画「シンドラーのリスト」を見て、衝撃を受けた。戦火のもと、知恵と勇気で人道主義を貫いた一民間人の姿に、感動したのだ。いつか、自分もこのような作品を制作してみたいと思った。

後に「命のビザ」の事実を知ったが、素朴な疑問が湧いた。

「ビザがあったとはいえ6000人の難民が誰の力も借りずに無事出国することが可能だろうか。日本にもシンドラーのような人物が存在したのではないか」

彼は米国の友人の協力でユダヤ難民に関する文献を読み漁った。コツジという日本人の名が時折出てくるが、詳細は不明。

コツジとは一体何者か。

興味本位で始めた調査だったが、偶然にも「予測」は正しかったようだ。身が震えた。

「何とかして実像に迫りたい」

執念にも似た調査で、コツジが意外にも米国で自叙伝を出版していることがわかった。書名は『フロム・トウキョウ・トゥ・エルサレム』。日本のシンドラーは実在したのである。

「この人だ。読むうちに、緊迫感で身が引き締まりました」

小辻節三は京都生まれ。米国でヘブライ語を究め、満鉄顧問として渡満。2万人のユダヤ難民と満鉄とのパイプ役を務めた。この原体験が、後の難民救出へと繋がっていくのである。

山田さんは、自叙伝の解説を担当したトケイヤー氏(ユダヤ教の宗教的指導者)と会った。

「脚本を書きたいのです」
「コツジは、我々のヒーローだ。日本人の君が本を書くべきだ」

執筆について山田さんを強く後押ししたのは、娘さんが明かした、小辻の最後の言葉だった。『100年以内に誰か自分を分かってくれる人が現れるだろう』。「小辻さんは決して恵まれた生涯ではなかった。しかし無私で背筋の一本通った生き方。自分もそうありたいと思います」