田部井淳子(たべい・じゅんこ) 1939年、福島県・三春町生まれ。69年「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。75年エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848mに女性世界初の登頂に成功。92年女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる。現在65カ国の最高峰・最高地点を登頂。

山で切羽詰まったときにどのように行動したか。天山山脈トムール峰で遭遇した雪崩やロッククライミングを始めて間もない頃に目撃した滑落事故など、田部井さん自身が直面した絶体絶命の状況がひしひしと伝わってくる体験の数々。だが山に登ることの難しさの多くは、大自然が相手でも人間関係にあるようだ。

エベレスト登頂時、声高に意見を主張する人との軋轢やグループで不満を抱く人の与える影響など「一番のストレスは人。人とぶつかることなんですね」と百戦錬磨の田部井さんにしてそう言わしめる。「偏らずに見る」「どう思われているかにとらわれない」といった山で学んだ教訓は、意思決定やコミュニケーションに悩むビジネスマンにも目から鱗のアドバイスにもなるが「私は、ぶつかるぐらいなら逃げちゃう。逃げても自分の意思は通す。そうやって私は切り抜けてきた」とやはり田部井さんはタダモノではない。

「大事なのは平常心。どういう方法で切り抜けられるか、頭で考えることができるのが人間。だからそのときにオタオタしない」。それが困難を前にしたときに最も大事なことだという。

だが「そうだ、騒ぐな、オタオタするな」と自らに言い聞かせるような土壇場が田部井さんにもやってくる。腹水の中にがん細胞が見つかり、余命「3カ月」と宣告されたのだ。この本の第二章はその闘病記でもある。

2012年は厳しい年だったに違いない。本書を参考に田部井さんの行動をカレンダーに転記してみると、入っていた仕事はできるだけキャンセルせず、病気であることも公表しない。そして治療と手術の合間には「それでも」山に登り続ける凄まじい日程がそこにあった。

「病気になったことは受け入れるしかない。でもしっかり受け入れたのだから医学的なことは先生にお任せして、ただ体が治療でどんなに辛くても歩かなければ絶対にダメ! という体の声に応えること。それが私にできること」と思ったという。

「五ツ星(ホテル)より満天星」。大自然の中に田部井さんは自分の人生を見出した。だから「歩けるうちは歩きたい。生きているうちは、1分1秒でも楽しく、やりたいことをやって生き抜けたい」という強い思いが、自らをいつも奮い立たせた。

「山が好きになり、登り続けてきたことで今のわたしがある」。寛解となった今も治療の副作用で手足の痺れが残るが、今年も数多くの山に登る。極限のサバイバルや究極の人心把握の秘訣にも感化されるが、この人の「生き様」にこそ鼓舞される。

(薈田純一=撮影)
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