出世を目指した半沢は正しい

人気ドラマ「半沢直樹」が最終回で42.2%(関東地区)の視聴率を残して幕を閉じた。日本での生活が20年近い知り合いの米国人とこのドラマの話になったとき、彼は「このドラマはとても日本的。アメリカではありえない」と教えてくれた。

彼はこのドラマには「アメリカではありえない」3つの点があると言う。ひとつ目の「ありえない」は、半沢のような一介のミドル社員が社内で大活躍し、下剋上のような動きをすることだ。トップダウンで物事が動くのが当たり前の米国企業では、限られた権限しかないミドルにできることは限られている。

彼は「もし米国企業に半沢直樹がいれば、経営トップは彼をすぐに常務に抜擢するだろう」とも言っていた。実力主義の米国なら当然だ。

2つ目の「ありえない」は入社同期の社員たちの仲の良さだ。そもそも入社同期の絆自体が米国企業では薄いが、「同期だから仲良くする、協力する」というのは理解不能だと言う。出世競争のライバルでもある同期を、自分が割を食っても手助けするというのは合理的ではないという指摘だ。

そして、3つ目の「ありえない」は半沢の妻である花(上戸彩)のようなやさしくて、献身的な女性はアメリカにはいないという点だ。この点については、私から「日本でもあんな女性は滅多にありえない」と釘を刺しておいたが、最初の2つの指摘については「なるほどな」と思わせるものだった。

半沢は自分の怨念を晴らすために、手段を選ばずに仕事で成果を挙げ、出世を目指した。本店次長への昇進が決まったとき、半沢は同期にこう語る。「俺はもっと上に行く。上に行ってやることがあるんだ」。

この半沢の言葉は世のサラリーマンたちにとても大切な投げ掛けをしている。それは「上に行かなければ、やりたいことはできない」ということだ。

半沢の場合、その目的は復讐だったが、多くのサラリーマンの場合、それは「やりがいある仕事」を手に入れることだろう。組織の中で大きな仕事を成し遂げたいと思えば、出世し、権限を手に入れるしかない。好きとか嫌いとかは関係なく、それがサラリーマンというものなのである。