2013年10月15日(火)

ラジオストアーは閉じるけれども(後篇)

秋葉原☆マネタイズ【第29回】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
梅本 克 うめもと・まさる
デジタルハリウッド大学客員准教授 Ph.D.(経済学)

梅本 克

1967年生まれ。1998年、ヴァンダービルト大学(米国テネシー州)卒。米国留学時より少女漫画の翻訳活動を通して日本文化の普及に努め、2005年にアジアアニメーション産業組織体(AAO)を立ち上げて、アジア各地でコンテンツ産業の育成や若手クリエイターの支援を行う。これまで国内外で多くのアニメ、ロリィタファッション、ヴィジュアル系など、日本のポップカルチャーに関わるイベントをプロデュースし、現在は秋葉原に活動拠点を置いて、新しい文化の創造と発信を通した地域活性化プロジェクトに携わる。趣味は仏像鑑賞とコスプレプロデュース。柔道二段と茶道石州流奥傳の資格を持つ。主な関心は秋葉原における趣味文化の経済学。

執筆記事一覧

梅本 克=文(デジタルハリウッド大学客員准教授)
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MZ-80Bの「声」を聴く

「ちょっぴり恥ずかしいけど、歌を歌うよ」(コスプレイヤー=みるる、撮影=YU-SUKE)

1976年、秋葉原のラジオ会館7階に日本電気(NEC)が日本初のマイコンショールーム「NEC BitINN東京」をオープンさせます。ここは後に日本のパソコン発祥の地として記念パネルも設置されることになるのですが、当時は、コンピュータプログラムを学ぶためのトレーニング・キット(1枚の基板に部品がむき出しの「ワンボードマイコン」と呼ばれた「TK-80」)を販売していました。これが大評判になり、一目見ようと多くの人が行列を作っていました。

ちょうどこのころ、1978年に登場したインベーダーゲームが大流行していました。ゲームを自分たちで組み立てて楽しみたい人たちが、ゲーム用に設計されたICチップを買い求めて秋葉原の電子部品の店舗に押しかけ、大勢の人でごった返していました。「ワンボードマイコン」も、自分で組み立てるキットであり、電子工作の知識が必要であったため、電子部品の店舗でも扱われるようになります。

ラジオ少年からアマチュア無線マニアになっていた父がマイコンと出会ったのも、ちょうど同じ1970年代後半でした。職場で導入されたマイコンの計算処理能力に感銘を受けた父は、マイコンの仕組みを学ぶため夜間の専門学校に通い始めます。早速「ワンボードマイコン」も入手し、プログラムの楽しさを体感しました。当時はまだBASICなどのプログラム用言語が普及しておらず、16進数で表現した複雑難解なマシン語でプログラムを作成していました。興味から沸き立つマニアの向学心は、ラジオ少年の時から健在でした。

「ワンボードマイコン」から程なく、ケースに入った完成品のパソコンが登場します。父も1981年にシャープ製の「MZ-80B」というパソコンを初めて入手。当時はまだハードディスクもフロッピーディスクもなく、市販のカセットテープを記録メディアとして使っていました。父がプログラムしたデータが入ったカセットテープを、私はこっそり持ち出してラジカセで音を出してみました。ガーガーと機械音が流れるので、これがコンピュータの声かと独りで感心していました。

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