苦肉の策でつくったソースが大好評
転機は、ケンカに強くなるために鍛錬を続けた空手が運んできた。アメリカ滞在から3年目にして人生の歯車が回り始める。
コミュニティカレッジで空手黒帯有段の腕が買われ、空手クラスの助手として採用された。指導の傍ら自らの道場を開き、ようやく生活の糧を得た。この頃、最愛の妻リンダと巡り合い結婚。娘も授かり平穏な日々を送っていた。
しかし、1981年の不況のあおりを受け生徒は3分の1に激減、4人の家族を抱えた生活は一転困窮した。クリスマスを迎え、生徒からのクリスマスギフトのお返しを買う余裕すらなかった。このとき苦肉の策として閃いたのが、焼肉屋をやっていた母親秘伝のたれを作って生徒にプレゼントすることだった。
8時間かけてしょうゆとみりんを煮込んでつくったソースは大好評で、お金を払ってでも買いたいという生徒が相次いだ。
吉田は「これは商売になる」と直感する。
「決断10秒」で運を味方にする
道場の地下にソース工房を設け、昼は空手の指導、夜8時から夜中の2時までは、妻と義理の両親の手助けを借りながらソース造りに明け暮れた。瓶詰めしたソースを「ヨシダのグルメソース」と名付け、アメリカのバーベキューソースとして愛用される商品づくりを目指すと誓った。
空手一筋に歩んで来た吉田だが、知識も経験もないビジネスの世界に飛び込むのに、迷いや恐れはなかったのだろうか、と聞くと、吉田はキッパリと否定した。
「迷って1晩も2晩も考えたり、リスクを分析したりしていたら、ソース造りはしていなかったよ。1%でも迷いや悩みがあると、リスクマネージメントなんて考えたり、逃げ道を用意するからうまくいかない。
よくリスクやマーケット分析して何日も考える人がいるけど、はよう、行動せえ思うわ。これだと思ったら、すぐに動き出す。決断は10秒。10秒で答えを出せないなら、やめて次を探したほうがいい。リスクや市場を分析しても、過去のデータから何が起きるかは実際わからんもんや」
1982年ヨシダフーズを設立した。当初、警察学校、空手の生徒や家族、友人たちがソースを購入してくれたが、会社を立ち上げたからには、販路を拡大する必要があった。近隣のスーパーマーケットに飛び込み営業に行くが、無名のヨシダソースを置いてくれるところは見つからなかった。
そこで考えたのが、店頭での実演販売だった。店側に売れた利益の35%を渡し、売れ残りの商品はすべて持ち帰ることを条件に売り込んだ。