人としての在り方はふとした瞬間に見える
一般的な成功する経営論や商売論については、多く語らない。
「AIやITの時代になろうと、ビジネスの基本は人間関係だよ。経営の本やビジネススクールでは学べない。僕が社長駆け出しの頃、あるオーナー社長さんからあいさつの仕方、ホテルのボーイさんへの声の掛け方をよく見ておいてくださいと言われ、人としての在り方を学んだ。ビジネスの話は一切しないけれど、お付き合いしている一流のオーナーさんは、誰もが人としての温かさがある」
吉田にとって、商売論とは人間論なのだ。商売をする相手も、真っ先にその人の在り方を見る。人との出会い、人との縁で、これまでの苦難多き人生を乗り越えてきたからだという。
極貧生活、強制送還、人種差別、4度の破産危機、自殺未遂……。人の助けなしではここまで到達できなかったというが、吉田自身の強さがあったから苦労を乗り越えたのではないだろうか。その強さはどこから来たのか、どうやって苦難から這い上がってきたのかと問うと、吉田はこう答えた。
「コンチキショーっていう気持ちで、死に物狂いで走っていたから、苦労やそれをどう乗り越えたかなんて記憶にないんだ。いつの間にか苦労が通り過ぎていた」
「まるでジェットコースターのような人生」
そして、茶目っ気たっぷりな笑顔を見せて「僕の人生は、上っては落ち、また上っての繰り返し。まるでジェットコースターのような人生だよ。それでも、大満足しているけれどね」と続けた。
「ジェットコースターのような人生」とは、どんなものなのだろうか――。吉田は、過去を振り返りながら話を始めた。
「コンチキショー、今に見てみい。わしは絶対に成功したる。でっかい車、買ったるで」
ケンカに明け暮れた10代の頃、よくそう言っていた。そのせいで、家族や親戚が付けたあだ名は「ホラ吹き」。
見栄を張り強がりばかり言うようになったのは、4歳の時の事故で右目が失明したことが大きく影響したと、吉田は話す。後に、この見栄と強がりの性格によって、事業の浮き沈みを経験することになる。