※本稿は、松原正樹『心配ごとや不安が消える 「心の整理術」を1冊にまとめてみた』(アスコム)の一部を再編集したものです。
10年後の自分は、「今の悩み」をどう思うか
10年前、あなたは何歳だったでしょうか。その頃、人生でいちばん関心のあったことはなんでしょうか?
仕事、恋愛、趣味、美容、お金、老後、家――。楽しみにしていることにも、そうではなかったことにも、必ず心配ごとがついてまわっていたと思います。
今、その頃に心配していたことで、現実になったことはあるでしょうか?
あんなに恋人との別れを恐れていたのに、今は別の人と結婚して幸せに暮らしてはいませんか? もう立ち直れないと思うほどショックな出来事からも立ち直り、笑い話としてしゃべれるようになってはいないですか?
これほど大きな出来事ではなくても、なんであんなことをあれほど心配していたのだろうということは山ほどあるはずです。
心配は自分が生み出した感情にすぎません。必ず、いつかは消えてなくなります。
そのことを私たちは、これまでの人生の中でたくさん経験してきています。
その事実を少し思い出してみるだけで、ちょっとした心配ごとであれば手放すことができるでしょう。
あるいは、「この心配ごとが10年先まで続いているだろうか」と自分に問いかけてみるのもいいかもしれません。そうすれば、「1年後、いや、半年後ですら心配していないな」と思えることもあるはずです。
なかには、子どもの進学、就職、結婚など長期にわたる心配ごともあるでしょう。そんなときは、「じゃあ、その心配ごとに対して、今何ができる?」と自分に聞いてみてください。
心配事の手放し方
できることがあるならばそれをする。今、何もできないのであれば、それは心配しても仕方がないことなのです。
実は、私も本来の性格は心配性です。とくに娘たちのことでは心配なことばかりです。
でも、「今、何ができるの?」と自問することで、「じゃあ、今から少しずつでも学費を貯めておこう。そのためにできることは何か、調べてみよう」といったように解決策につながることが多いですし、「確かに、今できることは何もないね」と思い至れば、その心配ごとを手放すことができています。
今できることに焦点を当てるためにも、10年後の自分に問いかけてみることは有効です。
人は常に孤独ではない
基本的に人間はつながりを感じていたい生き物ですから、根っこのところには寂しがりやの自分がいます。
世間的に高い評価を受けていても、たくさんの人に慕われていても、帰宅して家のドアを開けた瞬間、なんともいえない寂しさに飲み込まれてしまうときがあります。
一人きりですごす時間に、言い知れぬ孤独感に襲われることもあります。人が大勢行き交う東京やニューヨークの大通りを歩いていても、誰とのつながりも感じられなければ孤独です。
しかし、人は生まれてから死ぬまで、孤独なときは一瞬たりともありません。
土の上に人と人が座り、対話している姿を表している坐禅という字。誰が対話しているの? というと、自分と誰かではなく、自分ともう一人の自分が対話をしているのです。自分が自分がという「自我」と、本来の自分である「自己」との対話です。ですから、坐禅をするかぎり、もう一人の自分と常にある。絶対に一人ではないのです。
自分の中にいる「最強の友」
昭和時代の禅僧である山田無文老師は『臨済録』(臨済宗の開祖・臨済義玄の言行をまとめた語録)の中の「一無位真人」という禅語について、自分の中に、位も性別も年齢も能力も超越した、世間の価値判断で価値を決めることのできない仏性、本来の面目がある、と解説しています。立派な主体性、絶対的な尊厳、平等にある純粋な人間性というものが生まれながらにして誰の中にも備わっているのだとおっしゃっています。これこそが、本来の自分「自己」です。
自己は、いちばん近くにいて、いちばん信頼が置けて、いちばん自分を理解してサポートしてくれるベストフレンドです。
自分には友だちが少ないから寂しいといっている人には、自分の中に最強の友がいることを知ってほしいと思います。
坐禅は自己というベストフレンドと対話する絶好の機会です。
コップを静かに置いて深呼吸を繰り返し、心が落ち着いてきたら、もう一人の自分に問いかけます。「なあ、正樹、子どもたちの言うことをもう少しちゃんと聞いてあげてもいいんじゃないか」とか、そんなことでいいのです。
問いかけには反応が返ってきますから、「そうだよな。あれは悲しがるのも無理はないな」、「じゃあ、どうしたらよかったと思う?」、「口に出す前に、一度、深呼吸をして余白を持てばよかった」、こんなふうに問いかけに答えるうちに、心の整理がついていきます。
ベストフレンドはよき相談相手。ぜひ話す機会をたくさん持ちましょう。
禅とマインドフルネスの垣根
ここ数年の間で日本でもよく耳にするようになった「マインドフルネス」は、禅から宗教色が排除されたアメリカ発祥の瞑想法などとも紹介され、逆輸入のような形で日本にもブームをもたらしました。
しかし、私の中で禅とマインドフルネスの間に垣根はありません。瞑想という大きな傘の下に、禅があり、マインドフルネスがあり、ヨガがある。瞑想へのアプローチの仕方がそれぞれ異なるだけで、瞑想という大きな目的は同じです。
ではなぜ、マインドフルネスがブームになったのかといえば、ビジネス・メディテーション(瞑想)の要素がクローズアップされたからではないかと推測します。そのきっかけを作ったのが、検索エンジンでおなじみのグーグル社です。
チャディー・メン・タンというグーグルのエンジニアが、従業員の「集中力向上」、「ストレス解消」、「チームワークの向上」のために、仏教の瞑想の要素を取り入れた「サーチ・インサイド・ユアセルフ(以下、SIYプログラム)」を開発しました。
グーグル社内に「瞑想ルーム」がある理由
私も禅の指導という形で、茶道を通してこのSIYプログラムに関わりましたが、基本的には心を落ち着かせ、思考を整理し、集中力を高めることで仕事の能力や能率をアップさせるというものです。
また、グーグル社内には社員が自由に使える瞑想ルームがありますが、ここで他の社員と一緒に座ることで、周囲の人たちとの共感・協調といったものが芽生え、チームワーク意識の向上にもつながります。
瞑想というのは、そのとき湧き上がる感情をとらえることもできれば、イメージトレーニングによって頭の中を整理することもできます。SIYプログラムは、双方の要素をバランスよく取り入れたプログラムだと考えるとわかりやすいでしょう。
仕事をしていると、同時進行でいろいろなことに対処しなければならず、時間との勝負で焦るあまり空回りしてしまうこともあれば、考えすぎて迷宮に入り込んでしまうこともあります。
詰め込みすぎた頭のバケーション。マインドフルネスは、そんな効果が期待できます。
目の前の仕事からいったん離れ、頭の中をリセットするとそこに空間ができ、新しいアイデアの入る余地が生まれる。このような経験が、マインドフルネスはクリエイティビティを向上させるといわれるゆえんです。
仕事で行き詰まった頭のリセット。心の休息。新しいアイデアの源。疲れ切って思考停止に陥る前に、自分らしい瞑想のやり方を手に入れましょう。