※本稿は、中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎)の一部を再編集したものです。
孤独死、大いにけっこう
【奥田】先生はつねづね、孤独死も全く怖くないと仰っていますね。
【中村】そうや、孤独死、大いにけっこうや。誰にも迷惑をかけないで、あの世に逝けるなんて最高やないの。私の理想の死に方やね。
【奥田】その潔さには憧れます。
【中村】そうかい? 私は今、息子夫婦と同じ敷地内に住んでいるんやけど、家同士は繫がっていない。足を折ってからは、杖歩行になってしまったから、食材の買い物や夕食はお嫁さんにお願いして届けてもらっているけど、丸一日、一人で過ごしていることが多い。
せやから、いつコテンと死んでいてもおかしくない(笑)。隣に住んでいる息子夫婦には「もし私が孤独死していても悲しまんといて」って言ってある。
【奥田】それは非常に珍しいと思います。世間では孤独死は「寂しいもの」「絶対に避けるべきもの」とされています。
【中村】そうか? 孤独死ほど、潔い逝き方はないと思うんやけど。入院してしまったら、手続きのあれこれで家族に迷惑をかけてしまう。
家で寝たきりなんかになったら、大変な負担や。ある日コロッと亡くなっていれば、ひと手間もふた手間も減らすことができる。
孤独死は寂しくない
【奥田】なるほど、先生は徹頭徹尾、精神的に独立されていますね。
【中村】もちろん、全く家族に迷惑をかけずに亡くなるなんてことは、現実的にはまず無理や。人は生まれてくるときも人に手伝ってもらって生まれてくるやろ? それと同じで、死ぬときも全く誰の手も煩わさずに綺麗さっぱり消えてしまうことはできない。だから、もし私が孤独死しても、何やかやと後始末は必要やろうから、そのためのお金はちゃんと用意してある。
息子夫婦には、一切がっさい家の中の物は不用品として、ゴッソリ捨ててくれ、家もぜ~んぶ壊して建て直してもらってええよと伝えてる。
【奥田】そこまで想定されているとは! でも、亡くなるときに一人でも本当に寂しいとは思わないんですか?
【中村】だって、大勢に看取ってもらったとして、誰かが手を繫いで一緒にあの世に行ってくれるわけじゃないやろ?
【奥田】たしかに……。テレビドラマのように、死に際にずらっと家族に囲んでもらったとしても、あの世に行くときは一人ですね。
病院でも孤独死はしょっちゅう起きている
【中村】そうそう。それに、ドラマのように死ぬ間際まで意識があって、家族にお別れを言える人なんて、実はとっても少ない。今まで数え切れない患者さんを看取ったけど、亡くなる何日も前から意識がほとんどなくなっていたり、逆についさっきまで元気だった人が急変して、家族が駆けつけたときには昏睡状態になっていたりするパターンも非常に多いね。これも孤独死の一種だとしたら、病院の中でもしょっちゅう起こっているんやね。だから私は孤独死を怖がらないわけ。
【奥田】「誰にも看取られずに一人で亡くなる」という面だけ見れば、たしかに病院といえど孤独死はしょっちゅうですね。寝ているうちにポックリ逝きたいという方もたくさんいますが、それだって睡眠中の孤独死ですからね。
【中村】たぶん、病院と違って、死後何日も経ってから見つかるっていうのが、残酷なイメージと繫がっているんやろうけど、だったらすぐ見つかる仕組みを作っておけばええと思うわ。
【奥田】今は見守りサービスが色々な会社から提供されていますから、契約しておけば死後何日も経ってから、というケースは防げますね。他にも携帯電話を誰もが持っている時代ですから、いくらでも工夫はできそうですね。
死んだあとのことには、こだわらない
【奥田】ところで先生は、ご自分がいなくなったあとのことを、家族にお願いされていますか?
【中村】お願いって?
【奥田】例えばお墓とか、お葬式のこととか……。
【中村】あ~。そんなことは、何も言ってない! 勝手にどうにでもしてくれって思ってる。自分が死んだあとの墓も葬式も興味ないから、好きにしてくれってね。
【奥田】やっぱり先生らしいですね(笑)。死んだあとのことまで、心配していられるかって感じですね。
【中村】そうそう。死んだらそれで自分はすべて終わりやから、そのあとのことを心配しても時間の無駄。
【奥田】私は死んだら家族だけで密葬にしてもらって、海に散骨してって頼んでいるんです。
【中村】ふ~ん、先生はやっぱりロマンチストやね。
【奥田】お墓があったら、子どもや子孫に迷惑がかかるかなあと。
昔みたいに一つの土地にずっと住み続ける人は少ないですし、お墓の世話って何かと大変ですからね。あとあと「墓じまい」しようにも、けっこう手間とお金がかかって困っている人も増えているそうです。
墓はあろうがなかろうが、どうでも良い
【中村】たしかにそうやね。うちはずっと一家で大阪住まいだから、気にすることもなかったけど、地元と移住先に分かれているだけで墓の世話は大変になるね。墓にこだわらないことも、これからは必要かもしれんね。
よし! それ息子にも言っておこう。墓はあんたの代で好きにしてええ、死んだ者にはなんの遠慮もいらへんでって。
【奥田】しょせん、葬儀やお墓は遺された者のためにあるというのが、私の考えです。精神科の世界では、家族を亡くした人に対するグリーフケア(大切な人との死別後のケア)がよく話題になりますが、お葬式やお墓のお世話というのは、その一種だったのかもしれません。
家族が亡くなったあとに慌ただしい行事を定期的に作り出すことで、家族の喪失を紛らわしつつ、癒やしていたのかなと。
【中村】たしかに、昔は四十九日だ、何回忌だと仏事がやってくることで作業や人付き合いを強制的に増やして、悲しみに沈み込むことを避けていたのかもしれん。
【奥田】ところが最近は、家のことを担っていた女性も働いていますし、地元から離れている人も多いです。昔ながらの仏事が子孫の負担になって、グリーフケアの役目を果たすのが難しくなっているのかもしれません。
【中村】なんにせよ、私が死んだあとのことは、子や孫が楽になるように、自由に取り計らってもらうのが一番やと思うね。お墓がある方が安心するんやったらこれまで通りやってくれればいいし、かえってストレスになるようなら、墓じまいしてくれたらええ。
死んでしまえば、何もかもなくなるんやから、墓があろうがなかろうが、どうでも良いことや。自分の死んだあとのことまで心配していたら、私はストレスになって仕方ないわ。
子や孫が無理をしないように言葉に残す
【奥田】生きているだけでも、色々なストレスが付いて回るのに、死んだあとのことまで心配していたら、ストレスを上乗せするようなものですよね。
宗教観は個人固有のものなので一概には言えませんが、先にいなくなる世代は少しでもあとに残る世代にとって負担がないよう、「あとはお任せ」にしておくのが一番いいですね。
【中村】そうそう。もちろん、揉めるのが目に見えているようなことは整理しておかないと本末転倒やけど、その他のことはお任せやと伝えておかないとね。そうしないと、「死んだ親父やお袋に申し訳ない」とか言って、無理する子どももおる。しっかり言葉にしておくべきやね。
【奥田】私は白洲次郎(終戦後にマッカーサーとの外交や交渉を吉田茂首相の片腕として担った)の遺言「葬式不要、戒名不要」がスマートでカッコイイとつねづね思っているのですが、さすがにもう少し具体的に話しておくべきですね(笑)。
死んだ自分のことを覚えて懐かしんでくれるのは、せいぜい後ろ2世代ぐらい。それからは、先祖の一人に過ぎない。だからこそ、末代の負担になるようなことは、できるだけ避けたいなと思います。