運動不足を感じるビジネスパーソンは多い。精神科医のアンデシュ・ハンセン氏は、ここ20年間の運動量の変化について「人類史上、これほど急速に運動量が落ちたことはないだろう」と指摘する。その運動量の減少が私たちの脳と体に及ぼす深刻な影響とは――。

※本稿は、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

オフィスで仕事する女性
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散歩よりランニングが効果的

運動を取り入れることで元気に活動し、脳の動きもよくしようとする人に何百人も会ってきたが、そこで気づいたことがある。皆がもっとも高く評価しているのは集中力アップではない。ストレスや不安への効果だ。

スウェーデンでは大人の9人に1人以上が抗うつ薬を服用している。この薬はうつだけでなく強い不安に対しても使われるが、個人的には9人に1人以上というのは多すぎると思っている。確かに薬は効くが、ちょっとお手軽に処方されすぎな部分がある。一方で、強い不安を抱えていて抗うつ薬を服用したほうがいいのに、していない人もいる。そういう人には、身体を動かすことが素晴らしい特効薬になる。

不安に陥りやすい大学生を2つのグループに分け、片方にはきついトレーニング(最大心拍数×60~90%の運動強度のランニングを20分)を、もう片方には緩いトレーニング(散歩を20分)をさせた。トレーニングは週に3回、2週間で合計6回行われた。どちらも、普通の人にできるようなレベルのトレーニングだ。6回のトレーニング後、散歩組もランニング組も不安の度合いは下がったが、特に効果が顕著だったのはランニング組のほうだ。不安の軽減が運動直後だけでなく、その後24時間続いた。その効果はさらに長く続き、トレーニングプログラム終了の1週間後も、不安のレベルは依然低いままだったのだ。

運動する人に不安障害は少ない

世界保健機関(WHO)によれば、現在10人に1人が不安障害を抱えている。興味深いのは、よく運動をしている人たちにはそれほど不安障害が見られないことだ。これでも、運動が不安を予防するというのをまだ信じられないだろうか。大丈夫。合計700人近くの患者を対象にした15件の研究をまとめると、こんな結果が得られる。運動やトレーニングをすることで、不安から身を守ることができる。不安障害の診断を受けていても、正常の範囲内の不安であってもだ。これまでの調査と同様、心拍数が上がる運動によって最大の効果を得られる。

体を鍛えることがストレス低下につながる

ストレスや不安を抱えた患者に、身体を動かすとそれらが軽減されると説明すると、戸惑われることが多い。「リラックスしたほうが効果があるんじゃないの?」と思うようだ。人間は地球上での時間の99%、ストレスの大部分が「闘争か逃走か」という類の危険に結びついていた。身体のコンディションがよければ、慌てて逃げるにしても攻撃に出るにしても、その場を切り抜けられる確率が上がる。よく身体を鍛えている人はストレスのシステムを急激に作動させる必要もなく、脅威の対象から走って逃げることができた。身体をパニックのギアに入れなくてよかったのだ。

ストレスのシステム自体はサバンナ時代から変化していないため、結果として、身体のコンディションがよい人ほどライオンから逃げるのが得意なだけでなく、現代社会のストレス源に対処するのも得意になる。普段からランニングをしている会計士が、決算前の忙しい時期にも同僚ほどストレスを受けないのには生物学的な理由がある。ストレスのシステムが「ストレスとは猛獣から走って逃げること」だった時代に形成されたからだ。身体を鍛えているおかげで、四半期報告書に目を通したりプレゼンしたりするときにも、あまりストレスシステムを作動させずにすむ。

夕暮れ時のアフリカ・サバンナ
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すでに書いたように、不安は、脅威となり得るものに対して事前にストレスシステムを作動させることで起きる。例の「火災報知器の原則」だ。それと同じ進化論がここでも適用され、身体の状態がいい人はストレスシステムを事前に作動させる必要がない。脅威かもしれない対象を攻撃したり、逃げ出したりする体力があるからだ。それが不安の軽減につながる。

進化の過程で有酸素運動がストレス予防になった

進化の過程で、身体のコンディションのいい人のほうがストレス源にうまく対処できたので、身体を動かすほうがストレスや不安に強くなる。その理論は妥当に思えるが、研究界で「妥当」は通用しない。それでは想像してみてほしい。ある音が一定の大きさで聞こえてくるとする。最初、5メートル後方で聞こえ、それが自分に向かってくる。その後、まったく同じ音が5メートル後方、つまりさっきと同じ場所で聞こえるが、音は遠ざかっていく。どちらの場合も、音はまったく同じように認識されていいはずだ。同じ音色、同じ音量、同じ場所で聞こえたのだから。しかし驚くことに、あなたは自分に近づいてくる音のほうが大きくて近くで聞こえたと認識するのだ。

この認識は、現実と一致しない。専門用語では認知バイアス(認知の偏り)と呼ばれている。近づいてくる音というのは危険をはらんでいる可能性があり、逃げるための猶予が必要になる。潜在的な危険が近づいているのを認識できるよう、進化は私たちに安全を確保する猶予を組み込んだのだ。だから自分に近づいてくる音を実際よりも大きいと認識する。ある調査では、身体の状態がいい人は音が近づいてこようが離れていこうが、同じように認識することがわかった。コンディションがよければフライングしなくてすむのだろう。近づいてくるものからも逃げられる、だから耳からの情報を歪めて認識する必要がないのだ。

近づいてくる音の認識の違いが身体のコンディションに起因している──これは、よい状態の人はストレスシステムをあまり作動させる必要がないという確固とした示唆だ。そこから、進化の過程で有酸素運動がストレス予防になったという結論を導くことができる。

ますます運動量が減っている

身体を動かすとストレスへの耐性がつくし、現代では貴重品になった集中力を与えてくれるから、デジタルな時代を生き抜く助けにもなる。

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)
アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)

ただ問題は、運動量がどんどん減っていることだ。今でも狩猟採集民として原始的な農耕社会に暮らす部族を調査すると、私たちの祖先は毎日1万4000歩から1万8000歩、歩いていたと思われる。今の私たちは1日5000歩にも満たない。そしてその数字は10年ごとに減っている。

スウェーデン人の平均的な体力は90年代から11%下がり、現在は大人の半数近くが、健康に害が及ぶほど身体のコンディションが悪い。特に悪いのは若い人たちだ。14歳の運動量は2000年頃と比べると女子で24%、男子で30%減っている。人類史上、これほど急速に減少したことはなかったはずだ。14歳の運動量が減ったいちばんの理由は? スクリーンばかり見ているせいだ。

すべての運動に効果がある

では、大人も子供もどのくらい、どんなふうに運動をすれば、脳がちゃんと働くのだろうか。その問いの答えを探すため、イスラエルの研究者たちが5000件に上る研究結果を調べた。なんという作業量だろうか。どれも、運動が知能にどんな影響を与えるかという研究だ。その中から、優れた研究を100件弱選び出し、それでわかったのは──なんと、あらゆる種類の運動が知能によい効果を与えるということだ。散歩、ヨガ、ランニング、筋トレ──どれも効果があった。運動によっていちばん改善されたのは、知能的な処理速度だ。運動をしていると頭の回転も速くなるというわけだ。

いちばんいいのは、6カ月間に最低52時間身体を動かすことだ。これは週に2時間という計算になり、さらに分割すると、例えば45分が3回になる。それより長く運動しても、さらに効果があるわけではないようだ。もちろん身体のコンディションはよくなるが。脳だけの話をすると、週に2時間あたりのどこかで効果に限界がくる。言い換えれば、マラソンまではする必要なしということだ。

脳の観点から見ると、心拍数は上げないより上げた方がいい。と言っても、速足で歩くだけでも驚くほどの効果がある。できることをやって、心拍数が上がればなおよしというわけだ。

私たちはひどい体型!

直系の先祖に会ったとしよう。あなたが男性ならば父親の父親の父親の父親の父親、女性ならば母親の母親の母親の母親の母親だ。そうやって何世代も遡って、1万年前に生きていた先祖に会ったとしたら? 1万年も離れた親戚に対するあなたの第一印象は、「なんてよく鍛えられた肉体なんだろう……」のはずだ。一方で、私たちのほうは先祖よりもひどい、それもかなりひどい体型をしている。

7000年前のヒトの大腿骨や脛の骨を分析してみると、当時の平均的な骨質、骨量、強度は現在の長距離走者レベルだった。その中でもとりわけ身体の鍛えられた狩猟者や採集者は、現在のトップアスリートのレベルを超えている。ケンブリッジ大学の研究者コリン・ショウは、私たちの祖先は身体の状態に関しては「怪物」だと評している。一方、現代人の身体のコンディションはお世辞にも良いとは言えない。「現代人の体型はかなり悲惨なものだ」

ショウは、骨格の質が徐々に悪くなったことの最大の原因は運動量が減ったことだと考えている。座りっぱなしのライフスタイルのせいで骨密度が下がり、脚の強度も落ちた。言い換えれば、ますます座りっぱなしの現代、脳だけでなく身体機能も低下するリスクがあるのだ。