35歳になったら「好きな業界で働こう」
台湾の伝統工芸を凝らした優美な空間で、味わい豊かなお茶やスイーツをゆったり楽しむ人たち。オープン当日、晴れやかな笑顔で店内を見守っていたのが、広報マネージャーの工藤芽生さん(36歳)だった。今年7月、東京・銀座の中心地、銀座4丁目にある「GINZA PLACE」内に「春水堂 銀座店」がオープンした。「春水堂」は1983年に台湾で創業したカフェで、タピオカミルクティー発祥の店として人気を博す。2013年には代官山へ日本初出店し、その6周年を記念してオープンしたのが銀座店だ。
「私の中では『35歳でキャリアひと区切り』と20代の頃から決めていて、35歳になったら、何かの分野でプロフェッショナルになりたいという思いがずっとありました。業界を変えたり、転職したりするなかで経験を重ねるほど、広報という仕事がすごく楽しくなっていったことから、35歳になったら、いちばん好きな業界で広報として働くことを目標にしていたんです」
家庭で培われた不屈の精神
それまでの道のりはまさに山あり谷ありだった。新卒で入社した大手玩具メーカー「タカラトミー」では、商品広報から企業広報まで携わる。その後、食に関わりたいという夢を抱いて、ケータリングとスイーツを手がける会社へ転職したものの、東日本大震災後の売り上げ低迷で解雇されることに。さらにファッション業界へ飛び込み、「DoCLASSE」で40代以上の人をターゲットにした通販ブランドの広報に孤軍奮闘した。
大企業からベンチャーの立ち上げまで経験するなかで、挫折や失敗もさまざま乗り越えてきた工藤さん。そのチャレンジ精神はどこから湧いてくるのだろうか。実は生まれ育った家庭で培われたのでは、と振り返る。
「父がすごく厳しい人だったので、何をやっても褒めてもらえなくて(笑)。だから、私も満足できなくて、ずっと挑戦し続けているのかもしれませんね」
TVキャスターとして真摯に報道に携わる父、家族のために料理に愛情を注ぐ母、そんな両親の姿を見ながら、自分も好きな世界で何かを伝えたいと思っていた。玩具、アパレルなど異業種を渡り歩くなかで、いちばん好きなのは食べることだと気づいた工藤さん。ついに35歳になったとき、思いがけず舞い込んだのが「春水堂」で広報をする仕事だった。
ブームの先にある新たな市場をつくりたい
もともと住環境の水回りビジネスから始まり、アパレルやカフェ運営と3事業を手がけるのがオアシスライフスタイルグループ。その中で「春水堂」の日本展開を担ってきた木川瑞季さんから声をかけられたのである。
かつてマッキンゼーでコンサルティングに携わっていた木川さんは、駐在先の台湾で出合った『春水堂』本店に魅了されたのち、友人から「春水堂の海外店舗一号店が代官山にオープンする」という知らせを受けてべンチャーへ飛び込んだ人。工藤さんは「DoCLASSE」時代、広報の勉強会で彼女と知り合っていた。
あるとき飲み会の席でポロッと漏らしたことがあった。7年近く勤めた会社に愛着はあり、仕事も充実していたが、そろそろ次の道を考えていること。すると木川さんは「転職する気があるの?」と驚き、翌日にはオアシスライフスタイルグループの広報に誘われる。だが、すぐに心は動かなかったと明かす。
「タピオカミルクティーはもう日本でもブームになっていて、これだけはやっているものを広報するのはどうなんだろうと。広報としては、まだ世の中に出ていないものを広めたいというプライドもあり、これは私の役目ではないんじゃないかなと……」
それでも気になったのは、木川さんが「『春水堂』本店のタピオカミルクティーのおいしさに衝撃を受け、絶対に日本で出したいと思った」という話を聞いたこと。自分も行ってみたくなり、「とりあえず私も見てきます」と答えると、多忙な木川さんも同行してくれるという。すぐに飛行機のチケットを取ると、現地でいろいろな店を巡ることになり、台中で1983年に創業した「春水堂」本店にも足を運んだ。
趣ある伝統工芸を配したインテリアときめ細かなサービス、こだわり抜いた春水堂の世界観に工藤さんも魅了される。社長自ら語ってくれた創業の思いに胸を打たれたという。
「春水堂では台湾茶を文化として継承していくため、若者が好きなお茶を作ろうということでアレンジティーを作り始めたといいます。若者がお茶を飲まなくなったので、時代に合わせた飲み方を開発する中でタピオカミルクティーが作られたのです。もともとお茶を飲んでほしいという思いが根底にあるから、とにかく品質にこだわり、茶葉はすべて無添加。香料、フレーバー、防腐剤も一切使わない。タピオカは茹でたてのものを使い、シロップも毎日手作りし、ドリンクは認定を受けた『お茶マイスター』でなければ作れません。
台湾には春水堂のカフェが52店舗あり、家族連れやカップル、老若男女それぞれにご飯を食べながら、アレンジティーを楽しんでいる。その姿を見たときに私も、『タピオカミルクティーのブームのその先にある“お茶市場”を日本でつくりたい!』と思ったんです」
マイナスの事態にも、真摯に対応することが広報の役目
2019年4月、35歳にして、オアシスライフスタイルグループに入社した工藤さん。日本もタピオカミルクティーブームに沸くなか、3カ月後には銀座店もオープンし、メディアからの取材はひっきりなしだった。
だが、ブームに火がつくほど、それを打ち消すように逆風が吹いてくる。他にもタピオカドリンクの出店が相次ぐなか、タピオカの材料不足や原価高騰が起き、海外では粗悪品による事件が話題となった。さらに大きく報じられたのが、飲み終えたプラスチック容器が路上に捨てられてしまうゴミ問題だ。そうしたマイナスのニュースが流れる度、春水堂としてどう思うかとコメントを求められた。
「うちは丁寧に淹れたお茶を味わっていただくことを大事にしていても、そういう報道があると、タピオカそのものが全部悪く見られてしまう。私たちにできることは、ちゃんと取材を受けて、間違ったことはしていないということを真摯に伝え続けるしかないんです。ゴミ問題には早くから関心をもって、CSR活動としてタピオカミルクティー協会をつくり、毎月、表参道でゴミ拾い活動をしています。そうして身近なところから少しずつ発信していくことも私の役割だと思っています」
広報の役割は、会社にとってプラスになることだけでなく、マイナスの事態にも真摯に対応することが問われる。そのためには今まで経験した困難や失敗から学んだことを生かし、知恵を絞りながら奮闘する毎日だ。
業界問わず「広報」に必要なスキルとは?
では業界を問わず、広報に必要なスキルとは何か。工藤さんはまず社内でのコミュニケーションを大切にしている。社外に広報するためには、当然ながら社員の協力が必要であり、どんな事態が起きても広報に協力してもらえる体制を築くことが欠かせない。
次に、ニュースは自分で創造して作るということ。商品広報だけでなく、社員や企業をPRする広報においては、もっと視野を広げて社内で起きているニュースを拾い上げる姿勢が大切。そのためにも常日頃から社内の人とコミュニケーションを取っていることが役立つ。そして、そのニュースを、いつ、どんなタイミングで出せばより効果的か。ベストタイミングを見極めることも重要なのだ。
さらに工藤さんが心がけていることがある。「いつもポジティブで、何か起こってもすべて自分に与えられたプレゼントだと思っています。後々になって考えると、会社を辞めなければならなくなったことも、つらかったことも、その試練があったからこそ今の自分があると思えるんですよね。だから、大変なことが起こったときも全力で対処はするけれど、あとは愚痴を言ったり悩んだり、いつまでも引きずるようなことはない。自分にとっては、その時に必要だったのだと切り替えるよう心がけています」
そんな工藤さんがストレス発散できるのは、ラテンダンスの「サルサ」。新卒で広報に配属されたときから習い始め、たちまちのめりこんだという。毎週末のレッスンを欠かさず、バケーションには海外遠征して、セミプロのチームでステージにも出ている。
「ラテンの音楽で心も躍り、踊っているときは楽しくて全部忘れられます。会社でイヤな事があっても土日に踊ってリセットし、月曜日を迎えられる。サルサがあったおかげで仕事もがんばろうという気持ちになれたんです」
35歳でいちばん好きな業界で働く夢をかなえた工藤さん。その先でもよりパワフルにチャレンジを続けていくことだろう。