各企業の女性管理職のみなさんにお話を聞く、人気連載「女性管理職の七転び八起き」第7回。今回取材したのは、サイバーエージェントの営業局・局長の亀井愛さん。面倒見が良く、社内でも「おかん」的存在である彼女だからこそぶち当たった、管理職としての大きな壁とは?

流れに身を任せて得た天職との縁

サイバーエージェント インターネット広告事業本部 営業局・局長 亀井愛さん

学生時代に夢見たのは「ウエディングプランナー」になることだった。飲食業のバイトで結婚式の二次会の接客をしたことがきっかけで、興味を惹かれたという。ブライダル業界では花形の職種、憧れる女子も多かった。

それが「なぜ広告業界へ?」と意外に思うが、亀井さんはちょっと照れながら当時を振り返る。学生たちの間でも、インターネット事業を牽引するサイバーエージェントは人気を集め、20代半ばで起業した藤田晋社長の本がヒットしていた。サークルのメンバーもこぞって就活するなか、「流れに身を任せるように気軽な気持ちで受けたんですが(笑)」。肌で感じた熱い社風に惹かれ、自分の目指すような仕事ができるのではと希望が湧いた。

「もともと接客が好きで、お客さまに喜んでいただけることがすごく嬉しかったんです。飲食で提供するのは料理やサービスであり、この仕事では広告をプランニングして提供するという形になるけれど、ツールが何であってもお客さまに喜んでいただきたいという根本は変わらない。それは学生時代から変わらず大事にしてきたことで、今も私にとっていちばんのモチベーションになっています」

入社すぐ、電話で詰問されつづけた日々

2007年にサイバーエージェントへ亀井さんはインターネット広告事業本部で営業職に就いた。創業10年目の社内はベンチャー精神にあふれ、新入社員もすぐに独り立ちしてクライアントの担当を任される。だが、希望はたちまちしぼんでいった。

インターネット広告の効果は時間単位で数字に表されるだけに、シビアな世界だ。経験も実力もない自分はどうしたらお客さまに価値を提供できるのか……試行錯誤の日々が続く。なかなか広告効果を出せず、毎日のようにお客さまから電話で詰問される。数カ月は電話一本かけるのもびくびくしていた。

「うまく受け答えができず、『日本語、わかります?』と聞かれたことも。お客さまは20歳くらい年上で男性の方が多かったので、相当怖かったです」と亀井さんは苦笑る。

それでも先輩たちの協力を得ながら、幾度もプランを練り直す。4カ月ほどで広告効果を出すことができ、クライアントから増額を受けた。そうした成功体験の積み重ねが自信になり、入社4年目にはチームリーダーに。前任のリーダーは3歳上の先輩でコミュニケーション能力が高く、ガッツある営業マン。そんな先輩とのギャップやお客さまとのキャリアに圧倒的な差を感じ、あとを引き継ぐプレッシャーも大きかったが、女性だからこそ気づける細やかな対応を心がけた。

部下に本音を見せられず、チームの信頼関係が崩壊…

2011年には管理職になり、全社で選ばれるベストマネージャー賞を受賞。その年には営業局長に就任し、絶好調でスタートを切った矢先、いきなり壁にぶつかってしまう。半年も経たないうちに担当するクライアントでトラブルが続出。その渦中で、持ち前の責任感がむしろ裏目に出ることになった。

「周りに相談できないタイプというか、悩みを話すのが苦手なんです。本当はめちゃめちゃ気にするし、弱いところもあるんですけどね。もっと早めに相談して、組織で課題解決に動けばいいのに、自分で何とかしようとして一人で抱え込んでしまう。だから報告するタイミングが遅くなり、完全に火を噴いた状況で周りを巻き込むことになるので、上司にもかなりお叱りをいただきました」

何より辛かったのは、チームでの信頼関係も崩れていくことだった。本音で話し合えないリーダーにはメンバーの不満もたまっていく。管理職としての課題は、まず自分自身を変えることから始めた。メンバーにはいつでも本音で話し、頼るべきところは任せるようにする。その結果、「自分も楽になり、メンバーとの距離が近くなりました」という亀井さん。そんなチームだからこそ、皆で乗り越えられた試練があった。

広告だけでは解決できない課題に議論を重ねた

ちょうど営業局長になって間もないころ、担当するクライアントから3カ年の中期計画に向けた提案依頼を受けた。その企業は「現時点では(金融業界の)マーケット5位に入るか、入らないかというところだが、3年後には業界1位を目指したい」という目標を掲げ、達成するための提案をするというものだ。

最初に依頼を受けたときは内心、無謀な計画としか思えず、現状のプロモーションだけでは達成できないことが確実に見えていた。競合する大手広告代理店は全員男性で30、40代のベテラン勢で臨むが、自社はわずか4、5人の若手チームである。しかも相対する企業側の部長は新任で広告の編場を知らず、サイバーエージェントへの信用も希薄だった。チームをまとめる亀井さんの責務は重かった。

「私たちのミッションは広告効果をいかに出すかですが、この仕事は広告だけではどうにもならないような難題でした。それでも自分たちに何ができるだろうとメンバーと必死で考え、お客さまとも何度も議論しました。インターネット事業に関する勉強会や他社が掴めない情報を提供することに努め、だんだんコミュニケーションをとれるようになっていったのです」

部下にも体験してほしい「人生に刻まれる仕事」

3年後には「業界1位」を達成することができた。その後、亀井さんは担当を外れ、しばらくしてクライアント先の部長も異動が決まる。その際、自社まで挨拶に出向いてくれた部長を、〈○○さん、ありがとうございました〉と書いた手作りの張り紙で迎え、色紙を贈った。すると、最後に部長から「サイバーエージェントと仕事した数年は、社会人歴30年近いなかでいちばん楽しくて貴重な時間であり、自分が亡くなるときに思い出すと思う。それくらい貴重な時間でした」とねぎらいの言葉をもらう。それを聞いたメンバーの目も潤んでいたという。

「お客さまにとっても、その人生に刻まれるような仕事をご一緒できることは嬉しいこと。今は自分の大切なメンバーにもぜひ体験してほしいと思っています」

部下を信頼し、組織で課題解決を目指す

入社時から一貫してインターネット広告事業本部で営業に携わってきた亀井さん。その間、仕事と向き合う原点に立ち返る苦境も経験していた。まさに営業本部を統括する局長に就任したころのこと。大きな誤配信があって、数時間ほどで会社に多額の損益をもたらすことになったという。

トラブルが発覚したのは、ある朝メンバーから届いたメッセンジャーツールのメッセージがきっかけだった。前日夕方から夜にかけてネット上で広告を運用していたメンバーから、配信した金額の報告を受け、数字がひと桁違っていることに気づく。亀井さんは直ちに出社して対応し、上司にすぐ報告した。すると当時、広告事業本部の責任者である岡本専務は部下のミスをとがめることもなく、その指示は潔いものだった。

「まずは『お客さまにとって最善の対応をしてほしい』という話をされたんです。できるだけ自社の利益が下がらないようなやり方というのではなく、大事なお客さまのために自分たちができることを尽くすのだと」

それは亀井さんも仕事と向き合うなかで最も大切にしてきたことだ。会社に大きな損失をもたらした責任を感じ、どんな判断をも受ける覚悟をしていたが、上司はメンバーを信頼して対応をゆだねてくれた。ならば、同じミスを繰り返さないようにするためにはどうしたらいいか、今後に向けてチームで徹底的に話し合った。

「メンバーをすごく信頼しているので、組織としてどう課題解決していくのかというところを心がけています。私もマネジメントラインになると、お客さまとの距離はどうしても離れてしまう。やっぱりメンバーこそがいちばん近いところでがんばってくれているので、今はチーム一つになってお客さまのビジネスの成功に貢献できることが楽しいですね」

そんな亀井さんが率いるチームは11人。関西出身の亀井さんはもともとお世話好きで、きょうだいや友だちの面倒見も良かったらしい。今は社内でも「おかん」と慕われる存在のようだ。