その年、三菱商事に採用された女性の総合職は256人中、たったの4人。まっしぐらにキャリア街道を疾走してきた石井さんだったが、生まれた子どもから教えられたこととは……。
鬼上司の下でお作法を学んだ10年間
92年に東京大学の農学部を卒業し、三菱商事に入社しました。学部時代はネズミでホルモンの研究をしていたのですが、研究者には向かない気がして、英語が好きで海外とつながった仕事をしたかったので商社を選んだのです。新卒256人のうち女性の総合職は4人だけ。農学部出身の私は化学品グループの医薬品開発チームに配属されました。そこで日本の製薬会社の製品をロシアやポーランドで売ったり、日本の化学メーカーがつくった薬の原料を欧米の大手医薬品メーカーに売ったりする営業をしていました。
入社1年目の終わりのころのことです。私は、日本の財団のお金で医薬品を買い付けて途上国に届けるプロジェクトを担当していました。出張でミャンマーに行った時、アウンサン・スーチーさんがハンストをはじめ、戒厳令が敷かれてしまったんです。商社マンは事前にリスクを最小限にしておくことが大事なのに、非常時の出国ルートを調べていませんでした。
東京本社の上司に電話して「いつまでミャンマーにいるか見当がつきません」と報告すると、「しょうがない、飛行機が飛ぶまで遊んでいろ」と言われ、数日間、マーケットやパゴタなどの遺跡を見て回って帰国しました。あとで上司からは「そういうところを見るのも血肉となって将来の役に立つ」と言われたのが印象的でした。
三菱商事での10年間は、厳しい課長の下でお作法を教えていただきました。工場見学の日にハイヒールを履いていくと、「それで工場へ行けるのか!」と叱られ、パンツルックに平たい靴に変えたこともあります。仕事はチームで動きますから誰か一人が出過ぎてはいけない、村には村の慣わしがありますから、それを知ったうえで行動することもお作法だと学びました。
組織とカルチャーが会社を決める
8年目の99年に会社派遣でスタンフォード大学のMBAに留学させていただきました。当時のシリコンバレーは、日本にはない活気があふれていました。ビジネススクールの同期は「卒業したらAmazonみたいな会社をつくろう」と大きい夢を持っていました。実はセールスフォース・ドットコムも99年に生まれたばかりで、同級生にサマーインターンを経験した人がいました。
01年に卒業するころには、医療や医薬のコンサルティングをやりたいなと思うようになっていました。上司には、三菱商事にもこういった部隊をつくるべきだと何度か打診したのですが、「今はうちが強いところしか手は出さない」と。もし私が、自分の可能性を探るのであれば転職してもやむなしと言ってもらいました。
それでデロイトコンサルティングのボストンのオフィスに入り、そこでビジネスプロセスのコンサルティングを手がけるようになりました。アメリカですと一人ひとり人種も言葉も価値観も違うので、仕事のプロセスをきちっと成文化しフローにしていかないと回りません。一方、三菱商事のような日本企業はマニュアルがなくても、あうんの呼吸で常に仕事のプロセスが回っています。それはすごいことだなと思いました。
結局、組織やそのカルチャーがビジネスを良くも悪くもすることがわかってきて、私の関心はだんだんと人材育成や組織開発のほうに移っていきました。日本に戻ってからはグロービスで組織開発の仕事をさせていただき、その後にフェデックスキンコーズ・ジャパン(現キンコーズ・ジャパン)に移り、さらにクラフトフーズ・ジャパン(現モンデリーズ・ジャパン)を経て2012年にセールスフォース・ドットコムに落ち着くことになります。
結果が出ない社員を“待つ”大切さ
フェデックスキンコーズ・ジャパンには人事総務部長のポジションで入社し、店舗の人材採用からトレーニング、昇給昇格、店長の異動などの一切を担当しました。
各店舗にもよく足を運び、そこで感じたのは、第一線で頑張ってくれている人が1円、2円を稼いで会社を支えてくれているということです。そこですべての部門に対して、本社でふんぞり返るようなことはやめましょうとお願いしました。
プライベートでは同社にいるときに結婚しました。長らく仕事をしていて、もう結婚はしないだろうなと思っていたんですが、中学校の同窓会があり、みなさん結婚して子どももいる中に売れ残りが2人(笑)。同級生に「お前たち付き合えば」とけしかけられ、それから3~4年を経て結婚しました。
自分が子どもを産んでよかったなと思ったのは、待つことを覚えたことです。今までは人のことを考えず自分のスピードで生きてきたのですが、子どもにパンツをはかせようとしてもはきたがらないし、はいたと思ったら前と後ろが反対。昔の私だったら、こんな効率の悪いことは無駄だと感じていたでしょうが、子どもの成長にはその無駄が必要なんだとわかったときに、社員の中で結果が出ていない人がいても、待たなきゃいけないんだなと思うようになりました。