40歳を超えて出産し、戸惑ったのが子育て。夫や両親の協力を仰ぎ、万全の態勢を敷いたつもりでも、赤ちゃんは思うように“管理”できない――。そんなとき、山崎さんが感じた“仕事のありがたみ”とは?

■前編はこちら→http://woman.president.jp/articles/-/1343

出産してドツボにはまったこと

仕事を管理するのは比較的簡単です。でも子育てはそれができません。最近出産してそれを思い知らされました。子どもはまだ0歳です。今までの仕事+子育てという働き方だとパンクしてしまいます。

ユナイテッドアローズ 執行役員 山崎万里子さん

まず、育児と家事を夫と完全に折半しました。妊娠したとき夫に「大人のための家事はしません」と宣言しました。これまで夫のためにやっていたアイロンがけとか、クリーニングに出すことは自分でやってと頼んだんです。

子どもが小さいうちはそれでも手が足りません。そこで実家の両親にも上京してもらって手伝いをお願いしました。子どもの食事の世話から寝かしつけまで4人を総動員しての子育てです。

育児は結果が出ないことにイライラしっぱなしです。新生児は1カ月で1キログラム体重が増えるものだと聞くと、1日30グラムって勘定しちゃうんです。今日はまだ26グラムしか増えていない、4グラム足りない分、どうやって追いつくんだ? 1日16時間くらい寝ると聞くと、「キミ、今日はまだ13時間しか寝ていないぞ。未達だぞ」とか(笑)。ドツボにはまりました。

会社に来ると仕事が山積みになっているけれど、管理可能な課題があって、しかも相手は大人。やればやっただけ結果が出る。なんてすばらしいんだと思いました。

自転車で下るような人生は嫌

10年間マーケティングをやってきて、08年に経営企画部に異動しました。マネジメントはやりたかった仕事だったので願ったりかなったりでした。しかし経験がないうえに、移っていきなり部長です。自分よりもその仕事にずっと経験のあるスタッフをまとめていくことや、コーポレート部門のほかの部長たちと渡り合うのがすごく大変でした。

手放せない仕事道具:PCとモバイル。会社と同じ環境をつくって、自宅でも仕事ができる体制に。

今年4月からは営業部に異動になりました。日々の売上や月の売上を管理し、中長期の計画をどう立て、メンバーの採用をどうするか。そんなことをやるんですが、今まで純粋に営業部門にいたことがないので、また苦労すると思います。でも、それを超えたいと思います。

このタイミングで新しいことに挑戦するのは、50歳になったときの自分の姿が見えてしまったからです。37歳で最年少且つ初の女性執行役員になり、今42歳でゼロ歳児を育てている。“ワーママのロールモデル”と呼ばれることに満足して、女性活躍推進の波に乗って10年間引っ張れそうだけど、自転車に乗って緩い下り坂を走るようなものだと思いました。

ああ、これ嫌かもと思いました。自分の美学と反する。ビジネスパーソンとして閾値を超える体験をして新しい自分をつくらないといけないと思っています。

会社を辞めなかった理由

アルバイトから入って24年間のうちには、会社を辞めようと思ったこともあります。

最も心が揺れ動いたのは30歳頃です。ファストファッションがどんどん伸びてきて、安いだけでなくファッション性も高まっていたとき、いろんなところからスカウトが来ました。一度、ユナイテッドアローズの外からファッション業界を見てもいいのではないかと思い始めていました。

ストレス発散法:仕事が息抜き

単純に自分の成長のために一回転職してみるのも悪くないと考えたのです。

転職しようと思っていることを、創業者の重松に話しました。すると「あなたは転職すれば1のブランドを1000のブランドにできるかもしれない。でもボクのやりたいことはゼロのブランドを1にすることなんだ。そのためにはあなたが必要だから、同じ思いを持ってくれるなら残ってください」と言われました。

その言葉が私の心に響きました。ユナイテッドアローズは大きくなりましたが、高校生のときに出合ったお店とコアのところは同じなんですね。

●山崎さんのキャリア年表

1973年(0歳) 福岡県生まれ
1993年(19歳) 学習院大学在学時に、ユナイテッドアローズにアルバイトとして入社
1996年(22歳) 同社入社、販売促進部に配属
2002年(28歳) 広告宣伝部にてコーポレートコミュニケーション担当
2005年(31歳) 社長室広告宣伝課にて広告宣伝統括担当
2008年(34歳) 経営開発本部経営企画部部長
2010年(36歳) 執行役員 経営企画室長
2014年(40歳) 執行役員 経営戦略本部副本部長 兼 経営企画部部長
2016年(42歳) 執行役員 UA本部副本部長 兼 販売推進部部長